Lapiz2017冬号から《びえんと・立憲民主党と希望の党の明暗》:井上脩身

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10月に行われた衆院選で私は2人の候補者に注目した。一人は立憲民主党から立った大阪10区の辻元清美氏、もうひとりは希望の党から出馬した奈良1区の馬淵澄夫氏だ。二人はささやかながら私には縁があるのだ。選挙中の新聞社の調査では、ともに自民党の候補者に先行し優位に立っていた。結果は辻元氏が小選挙区で当選したのに対し、馬淵氏は小選挙区で落選、比例復活もならず、涙をのんだ。両氏は1960年生まれで民主党政権時代、国土交通副大臣(馬淵氏は後、国交相に就任)を務めた仲だ。民進党が立憲民主党と希望の党に分裂した今回選挙。辻元、馬淵両氏は両党の明暗の象徴であった。
 辻元清美氏は私の小学校の後輩だ。奈良県吉野郡で生まれた辻元氏は小学4年生のとき、大阪府高槻市立如是小学校に転校した。私は同校の卒業生なのだ。辻元氏は1年間在籍しただけで大阪市内の学校に転校したが、広い意味では私の後輩といえるだろう。
辻元氏は早稲田大学在学中、NGO「ピースボート」を設立するなど市民運動に力を入れ、1996年、社会民主党の土井たか子党首(当時)に勧められて比例近畿ブロックで立候補して初当選。2000年の衆院選では大阪10区から立って再選した。02年、秘書給与詐欺容疑で逮捕されて議員を辞職。懲役2年、執行猶予5年の有罪判決を受けた後の04年、無所属で立候補したが落選。05年、社民党公認で立候補し、政界にカムバックした。
09年、民主党が社民党と連立を組むと、辻元氏は国交省大臣に就任した。福島瑞穂内閣府特命担当相が普天間基地問題に絡んで鳩山由紀夫首相に罷免され、社民党が連立を離脱すると、辻元氏は同党を離党。「民主党・無所属会派」に属し、野田政権発足後、民主党に入党。14年の衆院選で5選を果たした。
私の実家は、いま長兄が暮らしている。その門扉に辻元氏のポスターがはられている。長兄は大手化繊メーカーを退職し、余裕のある生活だ。自民党を支持していても不思議でないのだが、辻元氏は兄のような富裕層からも熱い支持されているのだ。
一度、JR高槻駅前で街頭演説をしている辻元氏を見かけたことがある。北風が吹く冬の寒い日だった。辻元氏は「自民党政権のなかで庶民の暮らしは厳しくなるばかりだ」と声を張り上げていた。私は小泉首相に「ソーリ」と12回も繰り返して絶叫した社民党議院時代の辻元氏を思いだしていた。

酒酌み交わした馬淵澄夫氏

馬淵氏と会ったのは2004年、大阪のホテルで行われた奈良在住の書家の祝賀会の席である。私は3番目のテーブルだった。隣に座っていたのが馬淵氏だった。馬淵氏は前年の衆院選で民主党から出馬し、自民党の高市早苗氏を破って初当選した1期目の衆院議員だった。書家が馬淵氏の父親と親しくしていたことから招かれたのだった。
メーンテーブルには奈良市議会議員が座っていた。国会議員を3番目にするとは、と私は驚いたが、馬淵氏は気にかける様子もなく、私との
会話に応じていた。
私は30代の初めに新聞社の奈良支局にいて、衆院選、参院選の取材をしたことがある。当時は奈良全県が5人区だった。ビールを酌み交わしながら、「小選挙区制になって大変ですね」というと、馬淵氏は「おかげで浪人するはめになりました」と苦笑いした。馬淵氏は00年の衆院選で初出馬し落選したのだ。ほかにどんな会話をしたのかは全く覚えていない。政治家としては珍しいほどの誠実でおごりたかぶらない人という印象だった。
私は東京に出張した際は上野・池之端のホテルを定宿にしていて、起きると必ず上野公園とその周辺を散歩した。散歩道に都立上野高校があり、登校する生徒たちと出会う。この学校が馬淵氏の母校と知り、一層親しみを覚えたものだ。馬淵氏は横浜国大を卒業し、大手建設会社にエンンジニアとして勤めた後、政界に打って出た。
馬淵氏は09年の衆院選で3選し、鳩山内閣の下で辻元氏とともに国交副大臣に就任。国交省職員へのあいさつで、辻元氏が「災害危機管理に取り組む」と述べたのに対し、馬淵氏は民主党が掲げた「脱官僚依存」を強調した。
2010年、菅第1次改造内閣で前原誠司国交相が外務大臣に横滑りし、馬淵氏が国交相に昇格。前原氏が打ち出した「八ツ場ダム建設中止」について「予断をもたずにダムの検証を進め、その結果に従う」と表明、事実上中止を撤回した。私は前原氏が中止を表明したころ八ツ場ダムを訪れている。建設現場は素晴らしい渓谷だった。「このような自然景観をダムによって破壊すべきでない」と私は感じた。だから馬淵氏の撤回発言に落胆した。
その年、奈良市の書家のグループの祝賀会が以前と同じホテルで行われた。馬淵氏は大臣として招かれた。SPを従えた馬淵氏は挨拶をして、あっという間に会場を立ち去った。大臣なのだから当然ではあるが、庶民とははるかに遠い存在になっていた。

小池都知事の排除発言

野党の準備が整っていないのを見透かして、不意打ち解散に出た安倍首相に対し、9月25日、小池百合子東京都知事が機先を制するように、新党「希望の党」を結成。自ら代表に就くと表明したことから、衆院選公示直前になって情勢が混沌としはじめた。
こうしたなか、前原誠司民進党代表が希望の党に合流する方針を示した。
小池知事は右派団体「日本会議」の政策実現のための組織「日本会議国会議員懇談会」の副会長を務めたことがある。2000年の衆院憲法調査会で、参考人として呼ばれた石原慎太郎都知事が「現憲法は破壊を」と持論を展開。小池氏は「基本的に賛同する」と述べた。小池氏が保守のなかでもタカ派であることは明白だ。
その小池氏が振る旗の下に民進党が駆け付けるとはどういうことなのか。同党議員のなかに、小池氏に同調する者はいるだろう。だが党全体として希望の党に入るとなると意味は全く異なる。民進党とは実は右翼政党だった、と表明するに等しいではないか。それは集団的自衛権が憲法違反と訴え、共謀罪に反対してきたことは間違いだったと宣言したのも同然である。
希望の党に合流するかどうかを決める民進党の両院議員総会は9月28日午後、党本部で開かれた。同日正午の本会議で衆院は解散されており、10月10日公示の衆院選に向けて、党として選択するうえでぎりぎりの日程だった。
総会模様はテレビで放映された。引退議員一人ひとりに前原代表が感謝状を贈ると、幹部席にいた辻元氏は拍手をしていた。
感謝状贈呈のあと、前原代表は「どんな手を使っても、安倍政権を止めなければならない」と、希望の党との合流の理由を訴えた。その説明が終わると多くの人たちは拍手をし、賛同の気持ちを示したが、辻元氏は拍手をせずむすっとしていた。その後の協議は非公開で行われたが、報道によると35分で終了、大きな混乱もなく小池新党への合流を決めたという。
ところがこの翌日、小池氏は「(民進党からの合流希望者の)全員を受け入れることはさらさらない」と記者団に語り、さらに「安保、憲法で一致でなければ排除」と言い切った。明らかに民進党のなかの、「憲法9条を守る」立場のリベラル派は入れない、との表明だ。難破し漂流している「民進丸」の乗組員が、新造の「小池丸」にすがりつき、縄ばしごを伝って甲板に上がろうとしたところ、「わたしが嫌いな人はダメ」と突き落とされたようなものだ。
辻元氏は小池知事の「排除の論理」に反発し、「私はリベラルを信じている。無所属ででも出る」と報道陣に語った。こうして党の分裂が必至となるなか、枝野幸男民進党代表代行は10月2日、新党「立憲民主党」を立ちあげると表明。辻元氏は枝野氏の新党に参画した。
同じ日、小池都知事は「今回の選挙で政権を狙う」として、政権選択選挙であることを強調、過半数の233議席を獲得するとの目標を掲げた。おそらくこの時点では、希望の党に加わった民進党出身者は「小池旋風」の可能性を信じていただろう。馬淵氏は小池新党のなかの当選有望組の一人となった。

それぞれの今後

衆院選はすでにふれたように10月10日に公示され、定数465(小選挙区289、比例代表176)に対し1180人(小選挙区936、比例代表855=うち重複611)が立候補した。内訳は自民332、希望235、立憲民主78、公明53、維新52、共産243など。
共同通信社が10、11日に行った世論調査によると、推定獲得議席数は自民289、希望60、立憲民主33、公明30、維新17、共産17などで、序盤戦で早くも自民党が公示前勢力(290)を維持し、自公合わせて300議席を超える見通しとなった。立憲民主は公示前の16人から倍増と予想された半面、希望の党は60人と公示前(57)とほぼ横ばいと見込まれた。新聞は「希望伸び悩み」「立憲に勢い」との見出しをつけた。
選挙中盤の13~15日に行われた毎日新聞の世論調査によると、推定当選者数は自民が281~303、希望42~54、公明30~33、立憲45~49、維新11~18、共産11~18など。序盤の調査に比べると希望が下降線をたどる一方で、立憲が大きく支持を伸ばした。新聞の見出しは「希望さらに失速」「立憲は堅調続く」だ。このデータからみれば、立憲については「躍進の可能性」とすべきだっただろう。
各選挙区の情勢にも大きく紙面が割かれていて、大阪10区では「辻元氏一歩リード」と見出しを取り、「立憲支持層に加え、候補を擁立しなかった共産支持者を固めた。知名度を生かし無党派層にも浸透」と報道。一方、奈良1区についても「馬淵氏が先行」と見出しを打ち、「希望支持者をほぼ固め、立憲支持層や無党派層のほか、保守層も一定程度取りこむ」と伝えた。
私が新聞社にいた当時、選挙情勢記事で見出しをどうするかが最も頭の痛いことだった。明らかに優勢である候補者には「優勢」「リード」「先行」とする。この報道で辻元、馬淵両氏の当選の可能性はかなり高いと思われた。
衆院選は10月22日に投開票された。各党の当選数は自民284、立憲55、希望50、公明29、共産12、維新11、社民2、無所属22。希望の党はほぼ中盤の情勢通り、立憲民主党はさらに支持を伸ばていた。
中盤での予想通り辻元氏は75,788票を獲得、2位の自民党候補者(比例復活当選)に19,305票、3位の前回敗れた維新候補に30,850票の大差をつけて7回目の当選を決めた。
一方の馬淵氏。88,082票を得たが、自民候補に2,476票差で敗れて小選挙区で落選した。土壇場になって支持基盤が崩れ、失墜したとみられた。大臣にまでなって地べたをはう運動をしなくなったからではないか、と推測するが、断言はできない。
近畿比例ブロックでは馬淵氏は名簿順位3位で登載された。希望の近畿の当選者は3人。名簿順位1位の樽床伸二氏、同2位の井上一徳氏がまず当選。3位には20人が挙げられていた。この中で、惜敗率98・3%でトップの山井和則氏が復活当選。馬淵氏は惜敗率97・2%とわずかに届かず、復活ならなかった。
選挙後、希望の党の当選者の間で小池氏への憤まんが噴き出た。その一つは近畿比例ブロックだ。名簿順位2位の井上氏は京都5区で19,586票を獲得しただけ。惜敗率は32・4%。惨敗だったのに、登載順位2位のおかげで復活できたのだ。井上氏は元防衛省官房審議官。小池氏の部下だったと伝えられている。「安倍首相のお友達政治を批判している小池代表が、自分のお友達を優遇した」と怨嗟の声が同党内で充満したという。井上氏への特別な配慮がなければ、馬淵氏が復活当選していた。井上氏が横浜国大出身というのも、馬淵氏にとって皮肉だった。
衆院選で立憲民主党は「専守防衛を逸脱し、立憲主義を破壊する安保法制を前提とした憲法9条の改悪とは徹底的に戦う」と公約した。その憲法9条に安倍首相は「自衛隊を明記する」としている。国会では自民党は維新を味方に引き入れ、9条改変に躍起になるだろう。立憲民主党は躍進したといっても55人の少数勢力だ。社民党、共産党を加えても69人しかいない。どのようにして改憲阻止をするのか。かつて「ソーリ、ソーリ」と叫び「社民党のジャンヌ・ダルク」と異名をいただいた辻元氏。立憲民主党の政調会長兼国対委員長という重席を担うことになった。政治家としての正念場である。
落選の憂き目に遭った馬淵氏はどうするのだろう。馬淵氏だけではない。希望の党から立った民進党の前職議員53人中22人が落選した。馬淵氏のような本来落ちるはずのない候補者が落選したところに希望の党の先行きの暗さを示しているように思える。
小池氏は日本会議国会懇談会の有力メンバであるとすでに述べたが、ほかならぬ安倍首相もその一人なのだ。言い換えれば、小池・安倍の両氏は日本会議という同じ穴のむじなだ。安倍自民党は二つも要らない。馬淵氏が自民党と異なる保守政治を目指すなら、「日本会議決別保守」の道を探るべきだろう。落選したことで小池氏のくびきが解けた。憲法を守る立場での保守。そんな道を進んでほしい、と私は思う。

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