Lapiz2017冬号から《今を考える「消えた赤松小三郎」》:はない みほ

出来事は泡のように生まれ消える
 衆議院選挙が終わった。結果は立憲民主党が登場し多数の支持を得た。国民の意識がそこに向かったという事だった。これは、国民の意識が自由と平等と、健全なる思考で生きていることを実感した出来事のひとつであった。希望の党発足にむけて動いた出来事は、民進党内の右傾化する意識と、リベラル意識の分裂だった。ここにおいて都知事の小池百合子氏が何をもって存在しているかがはっきりと見えた。今政治は、単独で存在しているのではなく、グローバル化を推進する企業により持ち上げられる政治家があっちこっちに存在しているという事だろう。小池百合子氏も安倍晋三氏も、大阪維新も前原氏も一瞬一瞬の判断が他方から与えられているように見える。また彼等は同じところで繋がっているようにも感じられる。彼等は今までの政治家よりも自分のポジションにしがみつくという執念や、ポジションへの責任さえ希薄で、ロボットのようにも感じられる。また安倍政権や小泉政権、岸信介政権、佐藤政権、中曽根政権は長く続き、他の政権が短命で終わっていることやこの人たちが自民党内の清和会であることは、偶然ではない決まり事のようでもある。この暗黙の了解で出来上がった政治形態だと判断すれば、私たち一市民の声はどう反映されるのだろうか。加計学園や森友学園問題や伊藤志織さんのレイプ問題も表に出ないで事が消える。ここで私たちは、何を掴み、実態とするのか。つかむ実態を追い求めていきたいと思った。その中で、歴史を紐解く学者たちの書物を見つけた。関良基氏の「赤松小三郎ともう一つの明治維新」。この本は、安倍氏がいう戦後レジュームの脱却を覆す、長州レジュームの脱却と伝えている。この赤松小三郎について記載したい。

赤松小三郎と幕末の世
赤松小三郎(写真右)は幕末に生きた下級武士であり、明治維新後の日本を支えた人物である。さらに赤松は立憲主義の礎を150年以上前に説いていた人物であった。五日市憲法よりももっと民主的な思想であったそうだ。関氏は、歴史学者以外の自由な立場から、さらに赤松と同郷の立場から彼を紐解きこの世に明かしたひとりである。赤松小三郎が日本史に登場しないのは、1868年9月3日、京都で薩摩藩に暗殺されたのだと言う。暗殺に関わったのが、来年大河ドラマになる「西郷隆盛」と大久保利通と、中村半次郎だったそうだ。そうなると、薩摩の行った江戸の無血開城ってなんだったのだろうと言う疑問がわき、さらには英雄とはいったい何だという事になる。関氏は経済学の域からも歴史を紐解き、民衆の帳簿に1858年に調印した不平等条約である日米修好通商条約の前に江戸幕府(本当は幕府ではなく、公儀だという)は、生糸を他国に輸出し、関税20%で貿易をしていたという事実を伝えた。ではなぜ不平等条約になってしまったかというと、その頃単独で長州がイギリスに戦争をふっかけて簡単に負けた。このふっかけの責任追及の為に江戸幕府にイギリスは、責任を追求し、関税20%は大幅に下げられ、さらに莫大な賠償金をとられてしまった。それだけでなく、イギリスは、長州を掴み、長州を利用し、グラバーから武器を長州に流し、この地から日本を内から溶かしてしまった。ここに関わったのが、坂本龍馬であり、薩摩藩であるという。明治維新は、クーデターであった。ISが、アメリカに買われた人たちであるように、150年前に、長州の下級武士たちは、イギリスに買われた人であり、明治政府は、イギリスに乗っ取られた傀儡政権だと言う事を指摘している。明治以降急激に進んだ西洋文化革命は、新しい夜明けというよりも心を持っていかれた武力行使の末の結果であった。今、安倍政権が明治150周年を祝うセレモニーを企画しようとしているが、この歴史を掘り起こしてみれば、さらにこの現政権が何を引き起こそうとしているのかがよくわかる。

明治は決して明るいとは言えない。軍国主義にひたすら突き進み、日本人を臣民と見なし、勝手に天皇を西洋のキリストの存在に仕立てた新興宗教を日本人全員に押し付けた独裁時代だったと言える。その形が昭和まで続き、たびたび戦争を引き起こす破壊の時代だったところに、アメリカと言う国が明治政府の上に君臨し、明治政府の末裔はそのまま使われ続けているということか。そんな消された歴史が今、表に現れてきたのである。ふと赤松小三郎氏の事を知りたくなり、選挙の一週間後、私は赤松小三郎の生誕地へ向かった。

赤松小三郎を知る旅
 台風22号の来る前の秋晴れの日、東京から上越新幹線で信州上田に向かった。途中軽井沢を通過した。軽井沢の駅前はアウトレットモールのごとく、観光スポットなのか、降りる客人も多数いた。東京から上田にかけての駅周辺は、どこも同じ様相を見せていて、その土地の趣きは消えている。イオンモールやアウトレットショップ、ユニクロ、ナイキ、アディダスなどのグローバル企業が陣とっていた。これが続くのか、はたまた日本の各土地の良さが生まれる時代になっていくのか。私は後者に期待したいと願った。上田駅について上田城に向かった。上田城では、大々的に真田フェアーをやっていた。去年の大河ドラマの余韻を残し続いているようだった。ただ、中に入れば、作りものの渦中と、コピーのような説明文と年表、大変簡単な真田家の話の映像。そして大画面の3Dモニターが待っていた。しかし三半規管の弱い私は一秒も画像を見れず、リタイヤ。これを上田市は観光スポットとして、商業ベースに載せて映像会社に多額のお金を払って村おこしをやっているのかと悲しくなった。今の世において歴史は、もはや大河ドラマであり、大河ドラマを知っている事が歴史に通ずることになり、古き古文書を読み取るよりも新たに小説家によって作られた物語に酔いしれる事が美徳とされているようだ。これが歴史というのなら、確かに150年も傀儡政権下で動く日本があったのだということも納得がゆく。私たちは日本をあまりにも知らなさ過ぎた。日本はヘイトスピーチの横行する国民性を持っていた訳でなく、たいへん平和的に生きた時代を経ていた。関税20%と外国と対等の立場を敷いて民衆は日常を営んでいた。さらに、無駄な血を流さず交渉する言葉のやり取りができていた。西洋におとらず、自然の摂理を理解し循環する社会形態を築いていた。これはけっして、歴史教科書には残らず、英雄と言う権力が作った人間を真ん中において形成する歴史であった。その傀儡政権からして、邪魔者は消されていた。

赤松小三郎の記念館
真田特集ばかリかと思いきや、二の丸近くの隅っこに「上田市立博物館」がある。そこに「赤松小三郎展」が開催されていた。古い博物館の二階に展示会場があり、そこには赤松に由来する古文書が多数展示されていた。一つ一つ本物で、赤松がひたすら真面目に勉学に励んでいた様子が、残された帳面からはひしひしと伝わってくる。彼は、数学が得意だったようだ。さらに蘭学を学び、幕末乱世には、西洋の兵法を学び、京都で塾を開校。その時、薩摩藩邸によばれ、薩摩藩の浪士に兵法を教えている。その薩摩藩に暗殺されたのだから、何とも恩もあだで返す恐ろしい人たちが、この日本を形成していたという事だ。博物館を出て、お堀を歩いていくと、隅に二メートルほどの碑が立っている。これは東郷平八郎書で、赤松小三郎を忍んで立てられた碑であるそうだ。東郷平八郎は、日露戦争の時に活躍した人物で、関氏によれば、日露戦争に勝ったのは赤松小三郎の塾生が多数いたからだという。そしてそこからまた少し歩いていくと、赤松小三郎資料館があった。小さく神社の隅に立てられていた白い蔵。この蔵の前にはしっかりと錠がかかってあった。ここにこの資料館を建てたのはこの上田市民の顕彰会の方達だという。大々的に伝える真田のこととは対照的な赤松小三郎の記念館だが、この小さな蔵の佇まいはどっしりとこの地に腰を下ろすかのように見えた。

上田城を後にして、赤松小三郎の生誕地があったという木町に向かった。といっても、小さな目印だけだというので、たどりつけるものかどうか不安だった。すると、赤い旗が道ばたにはためいていた。赤い旗には、「赤松小三郎の生誕地」と書いてあった。そのあたりを散策し、細い路地を抜けた所に、赤松小三郎生誕地という碑をみつけた。その周りのお店には、細々と赤松先生の功績をたたえた文章がこの地の人によって発掘され、顕彰され、存在していた。赤松小三郎は、確かにいた。歪な日本から消された赤松だったが、今着々と存在を市民の手によって現わされて来ている。

細分化する時代から原点に戻る
 この社会がおかしな風になったのはどうしてだろうと考えた時、 物事の進化が進めば進むほど、全体として見る事をせず、物事を分割してしまったからではないかと考える。つまりあらゆるものが専門性に細分化し、その細分化した末端にこの地球上に生きている一人一人が細か過ぎて辿り着けず、細分化した先で研究いている人たちが、その末端でしか物事を見れなくなってしまったからだと思うのである。医療も農業も、芸術も、工業も、歴史も、経済も・・・原点は同じである。その点に絶えずフィードバックする意識を持たなければ、ものごとは内から解けてしまう。その現象が急速に進んでいるように感じ取れるのである。この疑問に対して、赤松小三郎の著者・関良基氏も、歴史の分野や経済の分野について危機意識を持って、専門家でないフラットな意識から辿り着いたのが、赤松小三郎の存在だったと言う。
関氏は環境問題の専門家であって、歴史の専門家ではない。専門家はだいたいが学会に入っている。その学会では、上下のヒエラルキーが出来上がり、おかしいと思っても、上に歯向かう事はできにくく、長いものに撒かれるというのか、本心を言えない空気があるのか専門を突き詰めていけば、後戻りできない所まで来てしまっているのが現状だと言う。特に経済は経済学者の中でグローバル化を提唱する動きが多感で、「自由貿易が!」という人たちが多数いる。そこに「違う!」と言えぬ空気があるという。また歴史学に関しても、今まで明治が文明開化した時代や、西郷隆盛、伊藤博文、大久保利通、桂小五郎などなどあの人たちありきの明治維新善!の歴史を「おかしい」とは到底言えず、今まで通りの歴史認識が前提に、歴史は繰り広げられていく。そこに違うだろうとは学会の中からは生まれないのであるという。医療において、私はいろいろ見てきたが、私が習った医療はどんどん病気を生むシステムになっている。さらにそのまっただ中にいる人は学会に所属しているが、何をいっても到底聞く耳を持たない。学会の中の自分の存在が大事で、外野の言う事は専門外だと、無知な一般人の遠吠えとなって切り捨てられる。しかし、医療ほど恐ろしいものはなく、人々の寿命をどんどん削っている医療システムが成り立っているようである。
また、関氏は著書「社会的共通資本としての水」で、ダム建設事業においての利権構造を浮き彫りにしている。どうして今麻生氏が水道の民営化を言い出したか。これは同じく、関氏の著書『自由貿易神話解体新書』に記していて、今問題になっているTPPに多いに関係している。種子法を廃止し、水道の民営化を押しすすめることは、人々の命を左右する大事なものをグローバル企業に明け渡した政策であり、この大事な命を守る為の垣根を壊し、格差を作り、人が普通に生きる事さえ奪う。この基本的人権を無視した国家体制を着々と自民党は作っている。またダムはこの国の土建と多いに関係し、あらゆる省庁で繰り返し行われている天下り問題とつながる。近年天下り場所を作るにあたり、ダム建設は、あえて地盤の緩い場所に作られているようで、繰り返し補修事業が行われる事が天下る人々の懐を肥やす。これは建設省と土建の癒着である。

医療においても十分に説明はできる。731部隊の軍医はA級戦犯にも裁かれず、薬害エイズや、原爆、あらゆる公害問題において活躍している。さらにキリスト教 系の病院、日本赤十字社関係、血液製剤の会社等へ天下ってる。日本経済がどんどん空洞化し、外資に奪われている現状は、日本の経済が日本人の為に経済をまわしているのではなく、一握りの人が上記のように私腹を肥やしている構図があるからである。この問題は社会のことのようで、自分とはかけ離れたことだと思われるかもしれない。しかしその社会事業は、今やひとりの人間が当たり前に生きる事さえできない実態を作ってしまっている。豊かさを求め動き出した進化は、欲に変わり自分の足下を溶かしてしまっている事に気づかないのである。それでも政治は舵を欲の赴くままにマスメディアを使ってスピードを増している。そんな船に否応無しに乗っている私たちは、共同体としての意識から、個の意識に立ち戻ること。つまり自分の足下をみて独自に生きる事を意識する時代へと変わる時にきたのかもしれない。