2018春号《巻頭言》Lapiz編集長 井上脩身

今年1月23日、草津白根山(群馬、長野県境)のなかの本白根山が噴火、近くのスキー場で訓練中の陸上自衛隊員1人が死亡しました。本白根山の噴火は3000年ぶりだそうです。気象庁をはじめ火山専門家は「火山活動の高まりを示す現象がない」として、全くマークをしておらず、寝耳に水の出来ごとでした。我が国が世界有数の火山国であることはだれでも知っていることですが、どこででも噴火は起きる、という自然の怖さを改めて認識させられました。私はテレビで放映される噴煙の動画を見ながら、57年前に登った北アルプスの焼岳(標高2455メートル)を思い出していました。高校2年生の夏、初めての本格的な登山として焼岳に登り、頂上近くの山小屋に泊まりました。その山小屋が翌年の噴火による火山灰で押しつぶされ、4人がけがをしたのです。そのニュースに背筋が凍る思いをしたことを今も鮮明に覚えています。 焼岳は1915(大正4)年に大爆発し、その泥流によって梓川がせき止められ、大正池が生まれました。池面から枯れたシラカバが頭を出していて、その神秘的な景観が上高地を訪れる人たちの目をなごませています。私は友人と二人で河童橋から焼岳頂上を目指したのでした。頂上には直径30メートルくらいの穴があいていて、白い煙がわいていました。その穴の崖の上に立って中をのぞいてみると、煙はずっと奥の方から噴き出ているようでした。
大正の大爆発から46年後の1961年のことです。私たちは焼岳小屋に米持参で泊まりました。当時、山小屋に宿泊するには米を持って行かねばならなかったのです。焼岳小屋は頂上から標高で200メートルほど下にあり、長さが20メートルくらいのこじんまりとした造りでした。西穂高岳から縦走してきた福島県の7、8人の男女のグル―プが、ランプのボーとした明かりの下で山の話をしてくれました。
焼岳は翌年の6月17日に水蒸気爆発を起こし、松本市で降灰が観測されました。それよりも私が驚いたのは、すでに述べたように焼岳小屋が押しつぶされたことです。大学に入ってから、私はあちこちの山小屋に泊まりますが、焼岳小屋はその最初の小屋ですから思いは特別です。頂上で見たあの煙がおどろおどろしく肥大化して小屋をのみこんでしまう。この事実に火山というものの不気味さを思い知ったのでした。
2003年8月、私は妻と御嶽山(標高3067メートル)に登りました。朝早く登り始め、11時過ぎに頂上に着きました。火口は直径400メートル以上あり、焼岳とはまるで規模は違います。でも煙はまったくなく、活火山とはとても思えないほど穏やかな表情をしています。私たちは火口を一回りして下山しました。
この御嶽山の爆発には焼岳にも増して信じがたい思いでした。噴火したのは2014年9月27日午前11時52分。火口付近にいた登山者58人が亡くなり、5人がいまも行方不明です。噴火発生時刻は、私たちが火口にいたときに当たります。もし私たちが登山をしているときだったら、と思うと他人ごとではありません。犠牲になった人たちが不運というよりも、私たちが幸運だったに過ぎないのです。
実は草津白根山にも強い印象があります。焼岳に登った前年の夏、学校で「志賀高原を歩く」という企画があり、参加したのでした。熊ノ湯という温泉地から横手山(標高2307メートル)を経て万座温泉に向かう途中、草津白根山の主峰、白根山とその火口を目にしました。火口は濃い緑色の池になっていて、夏の強い日差しにきらめいていました。今回、水蒸気噴火を起こした本白根山は白根山の南約3キロのところ。一帯はなだらかな丘陵が広がっていて、さわやかな高原の風が頬をなでてくれました。そこで噴火が起きるというのは、私には驚愕としか言いようがありません。
富士山を筆頭に火山は私たちに素晴らしい景観と温泉という癒やしの場を与えてくれます。しかしその本質は、何百度という高熱のマグマを、天地を割らんばかりに爆発させるモンスターなのだと思います。本白根山の噴火の犠牲者は1人ですが、火山の歴史をひもとくと、膨大な被害を及ぼした例は少なくありません。
私たちのこの国は原発大国です。この火山国で原発が稼働しても大丈夫でしょうか。
昨年12月13日、広島高裁は四国電力伊方原発3号機について、「阿蘇山の火砕流が到達する可能性が十分小さいとはいえない」として、運転差し止めを命じる決定をしました。阿蘇山が噴火をすれば、四国の原発にまで影響を及ぼす恐れがあるというのです。阿蘇山は高校の修学旅行で訪れ、その巨大な火口に圧倒された思い出のある山だけに、広島高裁決定は私には衝撃的でした。本当にそういうことが起きると、福島事故の比ではないほどの大変な事態になるのですから。

今号では、火山国での原発の是非について考えました。