2018春号《原発を考える》井上脩身

原発国日本に迫る火山の恐怖
―襲いかかる火砕流と火山灰―
広島高裁は昨年12月13日、四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)について、「阿蘇山の火砕流が敷地に到達する可能性が十分小さいとはいえない」として、運転差し止めを命じる決定を下した。阿蘇山から同原発は130キロ離れているが、野々上友之裁判長は「過去最大の噴火を想定すべきだ」と指摘し、「原発立地として不適」と判示した。我が国のいずれかの火山が大規模噴火を起こした場合、火砕流にとどまらず、火山灰が数百キロ先に降り注いで原発の運転に影響する恐れがあると指摘されている。自然の猛威は人知をはるかに超えるものであることは、東日本大震災による大津波で証明された。我が国は地震国でありかつ火山国である。全ての原発を廃止する以外に噴火の恐怖から逃れるすべがないことは歴然としている 。衝撃の小説『死都日本』
活火山であるかぎり、現在おとなしくしていてもいずれ噴火する。その噴火がどれほど恐ろしいものであるかを表した小説がある。医師でもある作家、石黒耀さんの『死都日本』。2002年に講談社から刊行され、第26回メフィスト賞を受賞した。現在は文庫本になっているが、600ページを超える大作だ。

西暦20XX年、霧島火山群がさまざまな観測データから大噴火すると予知され、霧島火山研究所が無人化されることになった。所長がいる最後の日、国立日向大学で防災工学を教える准教授の黒木伸夫が、地元紙記者の岩切年昭を伴って同研究所を訪ねて帰る途中、火口湖であり山でもある大浪池が水蒸気爆発を起こし、噴煙と噴石がえびの高原を覆った。この爆発で韓国岳の大半とその近くのいくつかの山が消滅。摂氏700度を超える爆風が時速320キロの速さで北西方向に広がり、住民3万人の町を一瞬にして4億年前の植物もない土地に戻してしまった。

岩切が車の中から噴煙柱にカメラを向けていると「ドーン」という衝撃音。溶岩ドームの爆発とみられ、破局的噴火が起こると黒木は予想した。間もなく浅い層でのマグマだまりが大爆発を起こし、火砕流が噴煙をあげながら都城市を襲った。市街地は厚さ140メートルの火砕物で埋まり、地下に逃れた人も窒息するか蒸し焼きになった。火砕流は錦江湾に達し、時速85キロのスピードで海面を南下、鹿児島市をのみこんだ。
こうして火口から半径100キロにも火砕流が及び、最初の噴火から4時間で200万人が犠牲になるという人類史上例のない災害になった。
被害はそれだけにとどまらなかった。垂直に成層圏に突き抜けた噴煙は四方に広がって傘雲をつくる。この巨大な灰雲が九州と四国をのみこみ、火山灰や硫酸エアゾルの霧を降らせながら北東方向に進んだ。火山灰には粘りけがあり、電線や電話線、光通信ケーブルに付着すると塊になり、断線やショートさせた。このため通信が不能になった。硫酸エアロゾルはコンピューターの通風口から侵入し電子回路に付着、コンピューターを動けなくしてしまった。

やがて灰雲は、西端は済州島、南端は奄美大島、東端は岐阜県にまで達し、開かれている国際空港は那覇空港だけになってしまった。

以上が粗筋だ。これだけの災害になったにもかかわらず、黒木と岩切は火砕流から逃げ切る。読者をほっとさせる部分もなければ小説にならない。フィクションなのだからこれはいい。問題は川内原発だ。

霧島火山群の巨大噴火が予想されていたため、首相を首班とするK作戦が秘密裏に実施されていた。この作戦に基づき、川内原発は運転を止めていた、というのが石黒さんの設定。このくだりを小説では次のように記している。

川内原発の炉内はまだ多量の放射能を帯びていたが、燃料棒が撤去されていたので最悪の事態は避けられた。特に冷却プールに浸けられていた使用済み核燃料は量が多く、水蒸気爆発で破壊されればチェルノブイリの七倍の汚染をもたらすとK作戦では計算していた。使用済みだけでプルトニウムのような毒性の強い放射性元素を多く含み、日本列島は今世紀いっぱい人が住めなくなる可能性が高かったのである。これを事前に撤去しただけでもK作戦を施行した意味はあったと言えよう。
すでに述べたように、『死都日本』は福島第一原発事故の9年前に刊行された。福島事故後にこの小説を執筆したならば、石黒さんはこうは書かなかったかもしれない。

火山の4類型
佳多山大地氏が書いた『死都日本』の「解説」によると、石黒さんは子どものころから火山について強い関心を持ち続け、大学時代から8年間を宮崎で暮らしていたときに九州の火山を見て歩き、その後も日本各地の火山を踏破したという。たしかにこの小説を読むと、石黒さんが随分火山について勉強をしたことがわかる。玄人はだしと言えるかもしれない。とはいえ専門外である。本当にこの小説のようなことが起こるのだろうか。私は鎌田浩毅氏の『火山噴火――予知と減災を考える』(岩波新書)をひもといた。

火山が噴火すると『死都日本』にもあるように噴煙が湧きあがる。これを噴煙柱といい、その高さによってプリニー式(高さ55キロ)、ブルカノ式(20キロ)、ストロンボリ式(10キロ)、ハワイ式(2キロ)の4タイプに分類される。

西暦79年、イタリア中部のヴェスヴィオ山が大噴火し、ポンペイを一夜にして埋めたとき、救援に駆け付けようとして噴煙に巻き込まれて死んだプリニウス提督にちなんで名づけられたのがプリニー式噴火。地下から上昇するマグマが強烈な運動エネルギーを持っているため、軽石、火山灰、岩片、火山ガスが火口からジェットのように勢いよく噴き出し、対流圏を突きぬけて成層圏にまで達する。噴煙中が上空で持ちこたえられなくなると、軽石と火山灰が一緒になって雪崩のように一気に落下して流れだす。これが火砕流だ。軽石、火山灰と岩片から成る固体と、軽石から出る火山ガスが混じりあいながら一団となって流れる。1991年に噴火したフィリピンのピナトゥボ火山の場合、火口の周囲20キロまで火砕流が到達した。

ブルカノ式噴火は爆発的に岩石や火山灰を飛ばす噴火をいう。ブルカノはイタリア半島の西の島の名前。1955年の桜島噴火がブルカノ式。浅間山では10年に1回の割でブルカノ式噴火が起きている。ブルカノ噴火の場合、爆発的に噴き出る高圧ガスが火口底の岩石を吹き飛ばすという特徴があり、大きさ数センチの石が4キロ先まで飛ぶ。ブルカノ式噴火では溶岩流が出ることは少ないが、大量のマグマが噴出した1914年の桜島噴火では、プリニー式噴火を起こして軽石と火山灰を降り積もらせたあと、大量の溶岩が流出する複合タイプの噴火だった。

地中海のブルカノ島の北20キロのところに浮かぶストロンボリ島ではローマ時代以来2000年以上、島の山頂から噴火が断続的に起きている。数十分から数分間マグマの飛沫を噴きあげ、数十分間休止し、また噴き上げるのがストロンボリ式噴火。伊豆大島の1986年の噴火ではストロンボリ式の噴泉があった。噴火すると火山灰を含んだ黒い噴煙柱があがるが、高度は1~2キロにとどまる。

ハワイ式はハワイのキラウェア火山やマウナロア火山で典型的に見られるタイプで、見事な溶岩噴泉と莫大な量の溶岩流出が特徴。噴火は爆発的でないので、火山灰はできない。噴火が始まってしばらくすると溶岩湖(火口の周りの溶岩の池)の縁からマグマがあふれだし、溶岩が流れ出す。この溶岩が何十万年という時間をかけてハワイの面積を徐々に広げてきた。

本稿は火山と原発の関係を探るのが目的である。さすがに火山と目と鼻の先には原発は立地していないので、火山から比較的遠距離にある原発に噴火が悪影を及ぼす恐れがあるかに絞って検討する。

『火山噴火』によると、地球を囲む大気は地上から約11キロまでが対流圏、その上が成層圏と呼ばれる。成層圏では強い風が一定方向に吹いており、火山灰がこの層に突っ込むとはるか遠くに運ばれる。大きな噴火が起こると火山灰は何百キロメートルという思わぬ遠方まで降り積もる。
11キロ以上の上空まで噴煙柱が立つのはプリニー式とブルカノ式噴火の場合だ。日本でこうした大噴火が起こる恐れがあるかどうかがカギといえるだろう。

原発コンピューターに火山灰
伊藤和明氏の『地震と噴火の日本史』(岩波新書)に、「歴史に見る火山の大噴火」として富士山、浅間山、雲仙普賢岳、有珠山、磐梯山の噴火例が紹介されている。ざっと概観しておこう。

富士山が奈良時代から平安時代にかけて噴煙を上げていたことは、文学作品にも表れている。『万葉集』の和歌には、「不尽の高嶺の燃えつつかあらむ」「布士の高嶺の燃えつつ渡れ」などと詠まれ、菅原孝標の女(むすめ)は1020年、『更級日記』のなかで、「富士の山はこの国なり。(略)山のいただきの少し平らぎたるより、けぶりは立ちのぼる。夕暮は火の燃えたつも見ゆ」としたためている。

富士山が大爆発したのは1707(宝永4)年。「宝永の大噴火」と呼ばれている。10月28日(太陽暦、以下同じ)に大地震が発生、東海地方から紀伊半島、四国にかけて大災害をもたらした。この49日後の12月16日、富士山中腹から噴火。約100キロ離れた江戸では黒い大きな雲が空一面に広がり、灰が雪のように降った。新井白石は『折たく柴の記』に、「白灰地を埋みて、草木もまた皆白くなりぬ」と書いた。灰は10日余り断続的に降り、その厚さは10センチ以上にのぼったという。

浅間山が大規模噴火を引き起こしたのは1783(天明3)年のことだ。5月9日に噴火が始まり、いったん小康状態になったあと8月2日に大きく噴火。この2日後、さらに激しい噴火になり、軽井沢宿186戸のうち70戸が噴石などでつぶれ、51戸が焼失した。8月5日に大規模な火砕流(鬼押出溶岩)が発生、北に流れだして麓の村を直撃し、477人が犠牲になった。降灰は関東、甲信越から東北にまで及び、微細な塵や粒子が成層圏にまで達して日射を遮り、冷夏になった。京都ですら「日輪も光なく、唯月を望む如くなり」(『橘南谿西遊記』)というありさまだった。

1990年に始まった雲仙普賢岳の噴火は記憶に新しい。91年5月、山頂部に溶岩ドームが出現し、その先端が崩壊して火砕流が発生。6月3日のやや規模の大きい火砕流で43人が犠牲になった。雲仙普賢岳では1792年2月10日、激しい地震とともに噴火が起きて溶岩が流出したうえ、4月21日に起きた地震で普賢岳の手前の眉山が崩れて有明海に突入して津波が発生、1万5000人が亡くなり「島原大変」と呼ばれた。

有珠山は1663年の「寛文の大噴火」以降、江戸時代に4回、明治以降でも7回噴火した。8回目となる2000年3月31日に起きた噴火では、マグマの上昇にともない地盤が70メートルも隆起して潜在ドームが形成された。1822年の大噴火では火災流で多数の死者が出ており、温泉地に近く周囲に住居が多いことと相まって、目の離せない火山である。

「会津磐梯山は宝の山よ」と俚謡にもうたわれる磐梯山。この山の最も古い噴火記録は806年のもので、大規模な水蒸気爆発とみられている。1787年ごろにかかれた『東国旅行談』は、「高峰の峯より炎立ち昇る事は烈々として其煙雲と等しく天を焦す勢なり」と、山頂から噴火を上げている様子を表している。この山は円錐形の成層火山だったが、1888(明治21)年7月15日、磐梯山を形成している小磐梯山で水蒸気爆発が起きて山の北半分が崩壊、岩屑なだれが発生し461人が生き埋めになった。火山灰が偏西風にのって東に流れ、100キロ先の太平洋岸にまで達したという。

これらの噴火記録からみると、富士山と磐梯山はブルカノ式噴火と思われる。『地震と噴火の日本史』で取り上げられたのは20世紀までの噴火だが、『火山噴火』では2004年9月の浅間山噴火や2003年1月の桜島噴火もブルカノ式としている。我が国の代表的な火山の多くはブルカノ式噴火を起こすとみていいだろう。

すでに触れたように、富士山の噴火では江戸で火山灰が10センチ以上も積もり、浅間山の噴火では広範囲に火山灰が落ちている。これらの火山灰はただの灰ではない。軽石が細かく砕かれたもので、単純にいえば石のつぶて。地上に落ちると移動せず、コンピューターの吸気口から入ると中に付着して誤作動を起こすというやっかいな代物だ。(『火山噴火』)

原発はコンピューターで制御されている。この原発システムに火山灰がもぐりこんだら「誤作動を起こす」というのが火山学者の常識だ。
以上を踏まえたうえで、火山国である日本での原発立地が妥当であるのかを検討しなければならない。

火砕流100キロの縄文例
冒頭に述べたように広島高裁は伊方原発3号機の運転差し止めを命じる決定をした。その理由として「阿蘇山の火砕流が敷地に到達する可能性が十分小さいとはいえない」ことをあげた。野々上裁判長は阿蘇山が噴火した場合、130キロ離れた同原発まで火砕流が流れ込む可能性がある、と判断したのだ。火山灰が遠距離の原発に達する恐れが十分にあることは本稿で検討してきた。火砕流も到達すれば、危険性のレベルは飛躍的に大きくなる。原発を致命的に破壊するだろう。実際に起こり得るのだろうか。

原子力規制委員会は原発から160キロ圏内にある火山について、「過去最大の噴火規模を想定し、火砕流が原発に到達する可能性が十分小さいと評価できない場合、立地は不適」としている。広島高裁決定要旨(12月14日付毎日新聞)によると「破局的噴火の発生頻度は1万年に1回とされているが、阿蘇山がこうした噴火を起こした場合、周辺100キロが火砕流で壊滅状態になり、国土の大半が10センチ以上の火山灰に覆われると予測されている」としたうえで、「約9年前に発生した過去最大の噴火規模を想定すると、阿蘇カルデラが伊方原発運用期間中に活動する可能性が十分小さいとはいえない」と判断。「申立人(広島、愛媛両県の住民)の生命、身体に具体的危険がある」と結論づけた。

この決定からみると、原発運転中に阿蘇山が破局的噴火を起こす可能性がどの程度あるとみるかが焦点であることがわかる。では破局的噴火とはなんであろうか。

古儀君男氏の『火山と噴火』(岩波ブックレット)によると、噴出物量によって噴火の規模は9段階に分類されている。破局的噴火はこのうち7、8に相当し、噴出量は100立法キロ以上(雲仙普賢岳の噴火は0・2立法キロ以下)になるものを指す。こうした巨大噴火では直径が2キロ以上のカルデラが形成される。阿蘇山では9万年前に噴出量が200立方キロに及ぶ巨大噴火が起きたとされ、広島高裁の判断材料となっている。

門外漢の私は、我が国の火山で火砕流が本当に130キロも流れるのか、といささか疑問だったが、それを証明する縄文時代早期の遺跡が南九州で見つかっている、と知った。

霧島市で9500年前の桜島噴火による火山灰層の下から竪穴住居が発掘されたことなどから、縄文人が早くから南九州に住んでいたことがわかっている。その縄文人が7300年前の鬼界カルデラの超巨大噴火によって、忽然と姿を消したのだ。

『火山と原発』によると、鬼界カルデラは薩摩半島南約50キロの海底火山。噴火によって高さ3万キロにまで達した噴煙柱が崩れて火砕流が発生。海と陸を100キロにわたって高速で走り、南九州の縄文集落を襲ったと推定された。屋久島、種子島、大隅半島の南部にその堆積が確認されている。火山灰は広範囲に降り、その厚さは九州南部で50センチ~1メートル、四国や紀伊半島で20センチ、関東地方で数センチになり、東北地方でも確認されているという。まるで『死都日本』だ。石黒さんは決してあり得ないことを小説にしたのではないのだ。

こうした記録からいえるのは、破局的噴火は必ず起こるということだ。現在の火山学ではそれがいつであるかの予知はできなけれども。

仮にその発生が1万年に1回とすれば、原発運転中(最大60年としても)に起こるとはだれも証明できないだろう。だったら原発を動かしてもいいのか。広島高裁決定が問いかけているのはまさにこの一点である、といって過言ではない。

私はこの「原発を考えるシリーズ」で、原発は「許された危険」なのか「許されざる危険」なのかについて、何度か考察を重ねてきた。「許された危険」というのは「危険だが、一定の規制のもとで運転は許される」というもので、国や電力会社の原発推進の論拠である。これに対し「放射能は余りにも人類に危険で運転はゆるされない」とするのが「許されざる危険」の考え。広島高裁が9万年前の噴火を論拠に運転を認めなかったのは、「許されざる危険」の立場から判断したものにほかならない。

私は「許されざる危険説」を採るべきだと考えている。広島高裁の決定は大いに賛成である。ただ、火砕流だけに絞っての判断では、最高裁で高裁決定が維持できるかは疑わしい。最高裁判事にまで出世した裁判官の中には、政府の顔色をうかがったと思われる判決を下す人がまま見られるからだ。

では、最高裁でも「運転差し止め」に持ち込むためにはどのような理論づけが求められるだろうか。

本稿でみてきた通り、破局的噴火に至らない噴火でも、火山灰が風にのって100キロ先まで達した例は決して稀ではない。「許された危険説」の立場にあっても、良心的な裁判官なら火山灰によって原発が機能不全になる具体的危険はあることを認めざるを得ないだろう。破局的噴火による火砕流と大規模噴火による火山灰の二重構成による理論化が有効だと私は考える。こうすれば、破局的噴火の可能性の立証が崩れても、大規模噴火が起きる可能性は十分立証できるだろう。数百年から千年に1度は大規模噴火するのだから、運転中に噴火が起きる可能性は決して小さくないと言えるのだ。このように考えると、火山灰が原発コンピューターを誤作動させ、放射能漏れを引き起こす恐れについての論証が重要な課題として浮かび上がる。火山学者、脱原発派原子炉研究者らと一体となった立証作業が求められる。

我が国には現在活火山が111ある。『火山噴火』によると、このうち「活動が特に高い」Aランクの火山は浅間山、阿蘇山、桜島など12山。だがBランクの御岳山が2014年9月に噴火、登山者63人が犠牲になったことにみられるように、いつ噴火があってもおかしくない国だ。

地震国、火山国である我が国が原発国であってもいいのか。『死都日本』では、物語の最後に首相がテレビを通じて国民に語る。「幸い今回の噴火では火砕流に襲われた原子力発電所が偶然廃炉になっていて助かりましたが、もし稼働中なら日本人は住める国土を失うところでした」と述べたのに続いて「この災害国で原子炉や放射性廃棄物保管施設を維持することがいかにきわどい賭けか、関係閣僚の皆さんにも充分お分かり頂けたと思います」と、原発依存からの脱却を訴えかける。

現実の我が国の首相は憲法を変えることに政治生命をかける一方で、原発推進というきわどい賭けをも行っている。このような首相の存在自体が「国難」であることに国民は気づかねばならない。