2018春号《今を考える『掴む社会と与えられる社会』》はない みほ

ウーマンラッシュアワーの漫才に興奮

年末の話。たまたまリビング行くと、テレビが流れていた。「ザ・漫才」だった。昔はよく見て笑っていた。いつ頃の事かと思えば、震災前だった。震災から7年も経ってしまった。被災地に行ったのもついこの間の事のように思えるのだが、あのとき5年生だった息子は、もうこの春には大学生。その年に生まれた子供達がこの春にはもう小学2年生になるのだから、いつの間にか時間だけが経っている。ただ私はあの頃から、いつ日本は良くなっていくのかと毎日指を折って数え、日を追っているからか、まだ震災は昨日のように思えるのだ。たまにはお笑いも悪かないかとテレビを久しぶりに見た。知らない若手漫才師がこの7年で幾人か出ている。流行にのっていない自分を感じた。面白いが、やっぱりあの頃のようには馬鹿笑いできない。するとウーマンラッシュアワーが出てきた。早口言葉で話す村本氏の空気が違っていた。福井は北朝鮮の隣というフレーズで始まった。すると村本氏は大飯原発の大飯出身だと言う。それから、大飯原発の夜事情を伝える村本氏のセリフに思わず唸ってしまった。次に東京、次に沖縄、次に熊本、次にアメリカ、北朝鮮、最後に日本の問題を伝えた。忖度で流される日本の現状をネタの中でハッキリ伝えた。私は、当たり前の事を言った村本氏の言葉にこの上なくすっきりした気持ちになっていた。

翻弄される民衆

震災後、私は東北に、大飯に、沖縄に何度か足を運んだ。村本氏の言うようにテレビから流れない民衆の言うに言われぬ状況を目にしてきた。ゆえに、東北、福井、沖縄、熊本に押込められた声は、彼の言葉に凝集されているように思った。仮設住宅に住む人たちは、本当にオリンピックよりゆったりと過ごす日常を願っているだろう。公の情報からは、すっかり原発問題や、災害を受けた場所の現状は流れない。ゆえに、問題は当事者だけの問題に停まってしまった。福島の駅にいけば、連日イベントのオンパレードだという。当事者の負担をイベントでぼかす。自己責任論を出し、政府も東電も保障を縮小し、もう終わった事となっている地域もある。この状況はまさに戦後の公害問題の熊本県の水俣である。
この2月10日、『苦海浄土』著者・石牟礼道子さんが亡くなった。彼女の訃報を聞いて、彼女の生声をYouTubeで聞いた。彼女は、結婚し子どもができた当初、生きる為に海でとれた魚を山間の村に売りに歩いたと言った。その後、水俣と同じ症状が、山間の村でも出て、これは自分が売歩いた魚に問題があったのだと自分の行為を悔いたと語った。彼女の人生は水俣訴訟運動と、水俣を文章に綴り、閉じ込めた国とチッソの負を世に知らしめた。水俣も、福島もその土地に住む人々が、生きていく為にそこで働いている。当事者であり被害者でもありうる形が作られている。国も企業も事が起きればただひたすら隠し、なかった事とする。いったい国とは何であろうか。そして民衆とはいかなる立場であろうか。その思考に共鳴するように、ネット上の田中龍作ジャーナルのある記事に目が止まった。韓国を独裁の国とし、北朝鮮を工業の発展した国としていた。私は戸惑い、隣の国、韓国と北朝鮮の事を何も知らない自分に気づいた。なんで、知らないのだろう?私は韓国の何を知って、北朝鮮の何を知っていたのだろう?北朝鮮ミサイルが!?という言葉で日本を揺るがす報道が連日ある。しかしその北朝鮮の事を何も知らない私たちが、なぜ北朝鮮を怖いと思うのだろうか?それに工業発展の国とはいつのことだろう?韓国が独裁国とはいつの事だろう?さまざまな朝鮮に対する疑問がわき上がり、私は怖くなって、この無知から来る恐怖を取り除く為に急いで図書館に向かった。

朝鮮という国を知る

朝鮮という国はいつ日本に侵入され、その朝鮮がなぜ二つの国に別れたのか?朝鮮戦争はなぜ起こり、なぜ終焉しないのか?それを知りたく何冊かの本を借り、その中でも、中立の話を知りたく、いろいろ読んでみた。「朝鮮戦争の社会史?避難・占領・虐奪」著者・金東椿。この本は、朝鮮人として北朝鮮側からと韓国側からの朝鮮戦争時の現状を細かく記した本である。私は読み進めるにあたり怖くなった。韓国と言う国と初代大統領である李承晩。李承晩の生い立ちや彼の生き様は、まさにLapizの前号で記載した赤松小三郎の記事の中の長州人の動きであった。李承晩の徹底したアメリカ追従の政治は、ナオミクライン著の「ショックドクトリン」の中にあるチリのクーデターの様相そのものであった。さらに、1945年2月に国連軍がヤルタ会議を開催しているのだが、その会議では、朝鮮の統治を国連軍で分配する事を決めている。東京大空襲は1945年3月10日であり、沖縄が占領されたのは1945年6月23日である。広島に原爆が落ちたのが1945年8月6日で、長崎が1945年8月9日であり、終戦は8月15日。そして本当の終戦は1945年9月6日という記載もある。国連軍は2月の段階で、日本がとっていた朝鮮領土の分割の取り決めをしているのだから、もう日本の敗北は決まっているではないか。さらに李承晩は、その時、国連軍に南朝鮮を「大韓民国」といい、国を作っているのである。正式にはまだ国は認められなかったが、なぜ、2月の段階で、朝鮮人の李承晩が、国作りの承諾を得る事ができたのか。この不思議な日程に、愕然とした。この2月の段階で日本が負けると判断されているのであれば、東京大空襲も沖縄への上陸も、原爆も落とす必要はなかっただろう。それなのに、日本がズタズタになってしまったのだ。それも民衆をことごとく地獄に押し込めた悲劇がその後繰り広げられているのである。
「朝鮮戦争の社会史」を読み進めると、国家とは容易くできるものと理解でき、冷戦という言葉も国連軍の思惑で作られたもののようにとれる。さらに戦争という恐ろしき状況も偶然に生まれた産物ではなく、大変意図的に、計画的にただ遂行されるものと理解できる。大統領も、ある所から与えられた役職であるように感じるのである。韓国の李承晩は、朝鮮戦争勃発時、韓国にはいず、日本を介してハワイに逃げている。そして韓国で戦争の火ぶたを切ったのは、李承晩の録音放送だったという。また李承晩は、韓国を出る時に、北朝鮮の南下を遅らせる為に漢江人道橋を爆破した。その後、米軍により無差別的な空爆と機銃掃射が行われたという。この米軍は日本の沖縄基地から飛び立ち、戦後の復興を朝鮮特需のおかげというように、日本に好景気をもたらした。沖縄も太平洋戦争で破壊され、80%の人たちが収容場に入れられ、土地と家を奪われ、生きていく為に基地で働く。この構図はまったく水俣や福島も同じであり、民衆は被害者にも加害者にもなってしまうように仕掛けられているように思う。また、うちなんちゅうとやまとんちゅうという言葉で、沖縄と本土を分断するように、朝鮮と日本を部落差別という言葉や在日という言葉に持って行かれてしまい、敵味方の意識を植え付け、対立の関係があえてつくられているように思われる。しかし、どこの国も被害を被るのは民衆であり、戦争に駆り出されるのも民衆であり、敵味方といって向き合う意識も実は民衆だけである。戦争だと始めるのは、その国の首相や大統領であり、そのタイミングは、計画の中にある。さらにその後ろには大国がいる。
今、北朝鮮問題を考えた時、北とアメリカ、日本の今の現状だけを見るよりも、戦中戦後の朝鮮の歴史を知ることがどれだけ重要であるかをこの本は語っている。「現代史は時間切れ・・・」と二年前の紅白でサザンオールスターズは歌ったが、終戦と、サンフランシスコ条約で歴史は終わり、後は各自で読んでおけで終わった日本の社会科の授業。安保反対運動を知らない大人が子どもの頃に受けた教育がこれであるゆえに、私たちは、沖縄も朝鮮も興味を持つ事さえできなかったのではなかったか。北朝鮮の民衆も、韓国の民衆も同じく自国の歴史を知らないのではないか。なぜ知らないのか・・・日本と同じだからであろう。

大掛かりなプロバガンダ

マスメディアから何が流れ、教育で何を学んでいるか。なぜ銅像が建てられるのかということも、純粋に負の歴史の償いなのだろうか。偶像崇拝を考えた時、偶像を良しとするキリスト教と偶像崇拝を悪しきとするイスラム教のように物事を良し悪しでは言いがたいものである。世の中にはあえて形化し、そこを踏み絵のようにして、人々に恐怖をもたらすものがある。これは、江戸時代のキリスタンの踏み絵に見るように、クロスを拝み、カメオのマリア様を拝み、大日本帝国においては、天皇を祀る祠を拝み、現在でも氏神と称し、近所の神社から頂いた紙にハンコが押しているものを神と崇め奉る。それに何かが起これば、人々はこの捉われに恐怖して金縛りにあう。あえて意識を与え形化するものに、一種の恐怖が否応無しにつきまとうように思われてならない。この恐怖こそが、偶像を与える側の狙いであり、それをまた取り除く時に与える開放をも意図的な狙いでもあるのではないか。つまり、与えられる側は、まぎれもなく力なき民衆である。民衆一人一人は、力なき弱い存在であるが、一人一人がその作られた意識に追従すれば、偶像に従う神聖な意識は、集団をなして、神聖な形ある実体となる。またそれに恐怖すれば同じく、その恐怖が集団を成して、神聖なるものを汚すものへの怒りとなる。それは、戦争をも肯定する意識へと変化する。このような意識操作がどの国でも行われているのではないだろうか。ともすれば、まず隣接する国々の民衆が、隣接する国の事を、自国を知るように知る事ではないだろうか。そして、韓国も北朝鮮も日本も台湾も、どの国の民衆一人一人が、このトリックに気づく時ではないか。私たち民衆は同じである。差別もある時誰かにより煽られた意識から生まれたのではないか。今までの鬱積した気持ちが権力に向けられず、優越感や侮蔑感を持たされ、誘導され、その誘導が集団となってとてつもない塊を作り、無力な民衆を閉じ込めてしまうのである。そして権力は国家を強調し、私たち個人を国家にすり替えられてしまう。戦争が起こる前、民衆は国家を意識させられる。オリンピック、ワールドカップ、国体、・・・平昌オリンピックが現在開催され、日本は金がいくつ、銀がいくつ、銅がいくつと連日テレビでは伝える。競走とこの高揚感の中に知らぬ間に、日本人である私たちは自分を日本と意識し、他国民も自分を我が国の中に閉じ込めてしまう。しかし国家は私ではない。私は私である。こういうときこそ、国家より個人に、他者より私に意識をおくことだろうし、閉じ込める意識からの開放と、当たり前に語る事を常とし、風通しの良い日常を意識して保つ事であろう。(了)