Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫

ソ連軍の樺太侵攻と敗戦

鄭泰植(左写真)は1930年(昭和5年)12月生まれというから、今年87歳になる。植民地朝鮮で生まれ1943年に樺太で働く父・好潤(ホユン)を頼って西柵丹へ渡った。戦況が厳しくなるにつれて、樺太の石炭を本土へ運ぶことができなくなった。制海権を敵側に奪われて来たのである。日本政府は樺太の炭鉱の閉鎖を決め、炭鉱夫など労働者を本土の常磐炭鉱と筑豊炭鉱へ移動させた。好潤は九州の筑豊炭鉱へ移動し、そこで日本の敗戦を知った。その頃、好潤の帰りを待つ泰植たちの一家の住む樺太はソ連軍によって攻撃されていた。樺太の敗戦は8月19日以降に徐々に進んだものの、ソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあった。8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し、8月25日の大泊(現コルサコフ)占領をもって樺太の戦いは終わった。 “Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫” の続きを読む