2018autumn 《 巻頭言》Lapiz編集長 井上修身

袴田事件の再審請求について東京高裁は6月11日、請求を棄却する決定をしました。静岡地裁の再審開始決定を取り消し、袴田さんの死刑確定判決を維持するものです。私はこの決定に対し、強い憤りをおぼえます。袴田事件の証拠をつぶさに検討すれば、冤罪であることが明らかだからです。再審の根本精神は「無辜の救済」。東京高裁の裁判官は「罪なき人を罰してはならない」という司法の余りにも当然の基本をかなぐり捨て、いったん決めた裁判をなにがなんでも守るという頑迷な態度に凝り固まっているようです。

袴田事件は袴田巌さんを死刑囚に仕立て上げた、典型的な司法犯罪です。

1966年6月30日未明、静岡市清水区(事件当時清水市)のみそ製造会社の専務宅から出火、焼け跡から専務(当時42歳)、妻(39歳)、次女(17歳)、長男(14歳)が他殺体で見つかりました。死体に刃物による傷があったことなどから、警察は何者かが4人を殺した後に放火したとみて捜査、会社の住み込み従業員で元プロボクサーの袴田さんの部屋から微量の血痕がついたパジャマを押収、同8月18日、強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕しました。19日から9月6日まで連日10時間を超える取り調べを行った結果、頑強に否認していた袴田さんが自白、静岡地検が起訴に持ち込みました。

袴田さんの自白は「血がついたパジャマで犯行に及んだ」というものです。しかし4人も刃物で殺したなら大量の返り血を浴びたはずです。66年11月に初公判が行われると、袴田さんは否認に転じました。検察側はそれでも冒頭陳述でパジャマを着て犯罪を行った、としました。
ところが、翌67年8月31日、みそ工場のタンク内から作業ズボンやシャツ、ステテコなどの血染めの着衣5点が入った麻袋が見つかりました。
袴田さんはいったん自白しています。5点の着衣姿であったこと、この着衣をタンクに投げ捨てたことをもはや隠す理由はまったくありません。にもかかわらずこの供述をしなかったのは、知らなかったからにほかなりません。

私はこの報道から、着衣は真犯人が投げ捨てたもので、袴田さんがシロである証拠と考えました。当然、検察は起訴を取り下げ、袴田さんを釈放すべきです。ところが検察は冒頭陳述を変更し、この血染めの着衣で犯行に及んだことにしました。
68年9月、静岡地裁は死刑判決をくだしました。判決文のなかで、最初の自白を考慮したのか、血染めの着衣で4人を殺し、パジャマに着替えて放火したことにしました。

専務宅とみそ工場の間は東海道線で隔てられています。袴田さんは4人の殺害のあと線路を渡ってみそ工場に行き、タンクに血染めの着衣を脱ぎ捨てた後パジャマに着替え、また線路を渡って専務宅を放火したというのでしょうか。このような大事件を行う単独犯がなぜこんな面倒なことをするのでしょう。余りにも不自然ですが、裁判官はそうした常識的な疑問をもつ人ではなかったのです。

76年5月、東京高裁は控訴を棄却、80年11月、最高裁は上告を棄却し、袴田さんの死刑が確定しました。81年4月、弁護側が再審請求。2008年、この第一次再審請求は最高裁で棄却されて終了。同年、第二次再審請求が行われ、11月、この請求審で5点の着衣の再鑑定を行うことが決定。DNA鑑定によって着衣の血痕は「袴田さん以外の第三者のもの」とされ、袴田さんの着衣でないことが判明しました。この鑑定結果を受けて14年3月27日、静岡地裁の村山浩昭裁判長は「(有罪の決め手となった証拠は)ねつ造された疑いがある」と踏み込んで再審開始を決定するとともに、拘置の執行を停止、袴田さんは47年7カ月ぶりに自由の身になりました。

問題は5点の着衣です。すでに述べたように、当初、これは真犯人が投げ捨てたもので袴田さんのシロの証拠だと考えました。検察がそう思っていたら公訴を取り下げたはずです。そうしなかったのはなぜか。私には不思議でならなかったのですが、そのナゾは簡単なことでした。証拠をでっちあげるという信じがたいことを、警察、検察がぐるになって行っていたのです。一審裁判官も気づいていたふしがあります。少なくとも証拠に正面から当たっていたら気づいたはずです。あるいは気づかなかったふりをしたのかもしれません。
5点の着衣を袴田さんが着ていて、それを投げ捨てたというのは余りにムリがある。こんな当たり前のことをまかり通した裁判だったのです。
静岡地裁の村山裁判長がようやくこの非を認めました。これを東京高裁がもう一度ひっくり返したのです。どういうことでしょう。

報道によりますと、東京高裁の大島隆明裁判長は、地裁が採用した弁護側推薦の本田克也・筑波大教授の鑑定について、「一般的に確立した科学手法と認められない」と判示。「警察がねつ造した疑いがある」としたタンク内についても「再現実験のみその色が異なる」として、そのねつ造性を否定しました。

高裁決定はひとことで言えば、検察側の主張をそのまま踏襲したものです。袴田さんを犯人にしたいという立場にたてば、それなりに論理的に筋が通っているようにみえます。しかし、重要なのは論理の話でなく正義が貫かれているか、です。仮に検察のいう通り5点の着衣がでっち上げでないなら、真犯人が投げ捨てたのもで、袴田さんは無実になります。シロの証拠をクロにした誤りを正すのが裁判官の最低限の務めでしょう。その基本にたてば、切って捨てるような結論にならないはずです。
袴田さんは82歳になります。浜松市内で姉の秀子さんの世話をうけながら暮らしていますが、雪冤の道は険しいものがあります。袴田さんのように再審請求をし続け、出獄を許されて自由の身になりながら、まだ再審開始に届いていない冤罪被害者に狭山事件の石川一雄さんがいます。

本号の「編集長が行く」で狭山事件を取り上げ、司法の犯罪の底の深さを考えてみました。