coverstory 《一本のスプーンの物語》片山通夫


ボクにとって、とても記憶に残った話の一つがこのスプーンにまつわる話だ。 ユジノサハリンスクで一人の女性に出会った。彼女はボクにこう言った。
「大叔父の遺骨を韓国の国際墓地に移送したいのです」

その折に彼女の話を時間をかけて聞いた。彼女の大叔父は朝鮮からこの島にやってきた。どうしてやってきたのか、なぜこの島なのか、そしてなぜ帰らなかったのかは、一切彼女は聞いていなかった。
ただ彼はまだ小さかった彼女に一本のスプーンを与えた。

「わしにはお前にあげられるのは、このスプーンだけだ」

その大叔父は今から15年以上前に亡くなった。彼女は大叔父の住まいの共同墓地に埋葬した。折に触れて彼女はスプーンを取り出しては見つめていた。たった一つの彼の遺品だ。
もちろん、樺太と呼ばれていた時代にこのスプーンを携えてこの島にやってきたということだ。

ボクは知り合いの韓国の知り合いに相談した。そこからは早かった。

韓国には在外同胞が600万人いるという。彼らも望郷の思いを胸に外国で亡くなるケースがほとんどだ。面倒なことに遺言のように「故郷の国で」と言い残す。
そんな話がそこここにあるのだろう。海外同胞の熱意と韓国政府の努力で、韓国・忠清南道天安市に国立の「望郷の丘」という巨大な墓地ができた。1976年のことである。知り合いは、必要な手続きをしてくれて今彼女の大叔父は望郷の丘に眠っている。

そして彼女の手元には写真のスプーンが残った。

余談だがこの望郷の丘には1983年9月1日にサハリン沖で起こった大韓航空機撃墜事件の犠牲者の慰霊塔もある。