cover story《服部健と言う生き方》片山通夫

三重県に関(亀山市)という町がある。東海道53次のうち47番目の宿場町である。江戸時代の終わり頃から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存しているという。いわゆる「当時の雰囲気が残る町」である。
宿場・関の名は、愛発の関(あらちのせき・越前国)・不破の関(美濃国)とともに「日本三関」に数えられ、670年頃に軍事上の目的で設置された「鈴鹿の関」に由来する。壬申の乱(672年)に大海人皇子(天武天皇)が、鈴鹿の関を閉ざしたことは知られているので歴史は古い。
カバーストーリー
 この歴史ある関に、明治15年から4代続いた桶を制作する服部健さんという方がおられる。勿論材料はスギやサワラ、コウヤマキなどだ。服部さんは父の跡を継いで38年だという。
桶に使う材料を吟味し、桶のサイズに合ったカンナなどいわゆる職人の道具をなん十種類も用意そして手入れして使いこなす。まさに職人技だ。また桶には箍(たが)が必要だ。江戸時代には箍屋(たがや)という箍を扱い桶を修理する専門の職人がいた。しかし服部さんはこの桶に必須の箍も自分でこしらえる。
稚拙な文章では彼の技は表現しきれない。カバーストーリーとしてはいささか変形になるが、彼の仕事ぶりは写真で見ていただこう。

最後に桶にまつわる無駄話を。昔から「風が吹くと桶屋が儲かる」と言われてきた。
その意は
大風で土ぼこりが立つ
土ぼこりが目に入って、盲人が増える
盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)
三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
ネコが減ればネズミが増える
ネズミは桶をかじる
桶の需要が増え桶屋が儲かる

という具合なのだ。

ところ変われば話も変わる。北海道オホーツク海沿岸、特に紋別市, 網走市には桶屋が多く、三味線とは全く関係のない話が伝わっている。

北風により流氷が接岸する
特に夜間には急激に気温が下が  り、室内でも氷点下の気温となる
漬物桶、風呂桶、漁具の桶が凍結 し、破壊される
桶の需要が増え桶屋が儲かる

服部さんは、プラスチックの桶などが出てきてからは、一般には売れることはないと話す。
そういえば風呂の湯桶などほとんどがプラスチック製だ。

逆に今や、手作りの木製桶は工芸品としての価値が出てきている。