Lapiz2019夏号《びえんと》Lapiz編集長 井上脩身

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住民の思いこもる大島憲法  

―平和と主権在民を掲げて―

現憲法公布前の伊豆大島

 今春、伊豆の大島を旅した。勤めていた東京の民放を定年前に辞めて島に移住した学生時代の友人を訪ねるためだった。友人と三原山の頂上から下山中、彼から思いがけない話を聞いた。戦後、この島で独自の憲法草案がつくられた、というのだ。新聞で報じられた、と友人は言ったが、私は知らなかった。現在の憲法が1947年に施行される前に、島の人たちは自分たちの憲法を持とうとしていた、ということのようである。そうであるならば、戦争で塗炭の苦しみに遭ったこの国の民衆は、真に国民のための憲法を望んでいたことの証左であろう。それは現憲法が決して押し付け憲法でないことの傍証にもなるだろう。と考えて旅から帰るとさっそく調べてみた。

民主主義精神のっとる

 名古屋学院大の榎澤幸広氏が2008年、大島でさまざまな調査を行い、13年、『伊豆大島独立構想と1956年暫定憲法』として論文を発表(名古屋学院大学論集社会科学編第49巻第4号)。論文はインターネット上で公開されている。友人が教えてくれた憲法草案は正しくは「大島大誓言」。「大島憲法」と通称されている。本稿でも大島憲法と呼ぶ。その大島憲法が作られるまでのプロセスの概要を榎澤論文にそってまず述べておきたい。
 大島は終戦時、元村など六つの村からなり、人口は1万1000人だった。ポツダム宣言で「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ限定セラレルヘシ」とされたことから、伊豆諸島の島民たちのなかで「米軍の信託統治下になるのでは」とのうわさが広がった。結局はうわさに過ぎなかったが、こうした混乱のさなか、柳瀬善之氏が元村村長に就任。46年1月、六カ村の村長会が開かれ、「島民一丸となって強力な団体活動をする」ことで意見が一致。2月、村長のほか金融機関の人々も加わって合同協議会が開催され、「大島の最高政治会議のようなもの(をつくり)、島内在住民の総意により民主主義の諸施策を自治的に行い、島民生活の安定をはかり、世界平和に寄与する」ことを申し合わせた。
 これを受けて、同年2月末から3月中旬にかけて「大島島民会(仮称)設立趣意書」が作成された。そこには①軍国主義の跳梁や誤った指導方針が悲惨な結果を招いた②われわれもそれを日本の真使命だと過信した結果、大島の現在につながった③理想の平和郷を建設し、世界平和に貢献する④住民が一糸乱れず民主主義の精神にのっとり、自らを律し生活の向上を図る⑤米軍と協力して世界平和建設に力を尽くせば、必ず文明人としてとり扱われる――などの決意がこめられた。
 設立趣意書に併せて「大島々民会規約(案)」が作成された。ここでは、その目的として「民主主義ノ精神ニ則リ大島在住民ノ総意ニヨリ関係スル事業ヲ遂行スルモノトス」と掲げ、住民総意による民主主義をうたいあげた。
 こうして大島憲法作成への素地ができあがった。その作成に関わったのが共産党員であった大島の大工、雨宮政次郎氏と、大島で『島の新聞』を発行した高木久太郎氏だ。
 榎沢氏は、日本共産党が45年11月につくった「主権は人民にある」など7項目からなる『新憲法の骨子』
を雨宮氏は見ただろうと推察。一方高木氏については、『島の新聞』に「悪助役、醜い市議、不良吏の東京市、東京都編入も考へものだ」「村会とは議員各自の個性を発揮する處に非ず。村民大衆の総意を反映」などと書いていることから、地方自治への意識が高かったと、とみる。

前文と3章23条で構成

 大島憲法が作成されたのは1946年1~3月とみられている。すでに触れたように、正式名称は「大島大誓言」。「本島ノ激変ニ会シ其ノ秩序ヲ維持シ進ンデ島勢ノ振起ヲ図ルニハ基本法則タル大島憲章ヲ制定スルヲ以テ第一義ト思料スル」として、前文と3章23条から成る規定をもうけた。以下はその抜粋である。
大島大誓言
吾等島民ハ現下ノ情勢ニ深ク省察シ島ノ更生島民ノ安寧幸福ノ確保増進ニ向ッテ一糸乱レザル巨歩ヲ踏ミ出サムトス
吾等ハ敢テ正視ス、吾等ハ敢テ甘受ス、吾等ハ敢テ断行ス
仍テ旺盛ナル道義ノ心ニ徹シ万邦和平ノ一端ヲ負荷シ茲ニ島民相互厳ニ誓フ
一、 近ク大島憲章ヲ制定スベシ
一、 暫定措置トシテ左記ノ政治形態ヲ採用シ即時議員ノ選挙ヲ行フベシ
一、 当分ノ間現在ノ諸機関ハ之ヲ認ム

大島政治形態
第一章 統治権
一、大島ノ統治権ハ島民ニ在リ
二、議員選挙有資格ノ二割以上ノ要求ニヨリ議会ノ解散及執政府ノ不信任ヲ議員選挙有資格者 投票ニ付スル事ヲ得
 此ノ場合及議会若ハ執政府ヨリ発セラレタル賛否投票ハ総テ多数決ヲ採用ス
第二章 議会
三、島民ノ総意ヲ凝集表示スル為メ大島議会ヲ設置ス
四、議会ハ一切ノ立法権ヲ掌握シ行政ヲ監督ス
五、議員ノ任期、三ケ年
六、議員ノ選挙方法ハ衆議院選挙法ノ主意ヲ採用ス
七、(略)
八、議会ハ議長之ヲ招集ス
九、議長副議長ハ議員ノ互選ニヨル
一〇、議会ニ於ケル議員ノ言論ハ議会外二於テ責ヲ負ハズ

一一、(略)
一二、(略)
一三、議会ハ必要ト認ムルトキハ島民ヲ招致シ其ノ意見ヲ聴取シ得ル事
一四、議会ハ執政府ノ不信任ニ関シ有権者ノ投票ヲ要請スルコトヲ得
第二章 執政
一五、島民ノ総意ヲ施行シ島務一切ヲ処理スル為メ四名ヨリ成ル執政ヲ設置ス
一六、執政ハ連帯責任トシテ島務一切ニ付其ノ責ニ任ズ
一七、任期ハ三ケ年
一八、執政長ハ執政ノ互選ニヨリ定ム
一九、執政長ハ島ノ首長トシテ内外ニ対シ島ヲ代表ス
二〇、執政ハ議会之ヲ推薦シ議員選挙有資格者ノ賛否投票ニ依リ選任ス
二一、執政ハ議会ニ対シ予算決算案及び其ノ他ノ議案ヲ提出シ其ノ審議ヲ求ムベシ
二二、(略)
二三、執政ハ議会ノ解散ニ関シ有権者ノ投票ヲ要請スル事ヲ得
「欠ケテル点ハ司法権」(「」内は後の書き込み)

国民の願いの具体化

 大島憲法が作られて8カ月後の46年11月、日本国憲法が公布された。すでに述べたように大島は日本の領土として認められ、暫定だった大島憲法を現実化する必要がなくなった。やがてその存在は忘れられたが、大島で教員をしていた文化財保護委員の藤井伸氏が原本を発見、1997年1月7日付で朝日新聞が報じ脚光を浴びるようになった。
なかでも注目されたのは前文で「万邦和平ノ一端を負荷シ」と平和への思いを強くうたいあげたことだ。同紙の報道に際し、憲法学者の古関彰一氏は「思わぬ危機に直面したとき、自分たちがどう生きていくかを模索し、持てる知恵と知識のすべてを生かして憲法を作ろうとしたことはすごい。法律は必要とする人が作る。それは専門家でなくともできるのだ、ということを見せてくれる」とコメントを寄せた(榎澤論文)。その古関氏は著書『平和憲法の深層』(ちくま新書)の中で「敗戦後の日本人が多くの苦難を償いつつ自信をもって精神の平和を得て明るく生き始めていた」と、現憲法ができる背景として日本人が強く平和を求めていたことを強調している。そうした当時の国民の思いを具体化したのが大島憲法といえるだろう。
一方、大島憲法は第1条で「大島ノ統治権ハ島民ニ在リ」としていることを重視したい。明治憲法の第1条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と天皇統治を掲げている。これに対し現憲法の第1条は「(天皇の象徴の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と、主権在民を規定している。大島憲法をつくった人たちにとって憲法といえば明治憲法しかなかった。したがって明治憲法の規定を下敷きとしながらも、天皇統治主義から島民統治主義に変えようとしたことは明白だ。この「島民統治」は現憲法が「主権在民」をうたいあげるに至るプロセスの一つとみることができる。
 大島憲法にも問題はある。この憲法の元でもある「大島島民会(仮称)設立趣意書」に「米軍と協力して世界平和建設に力を尽くせば、必ず文明人としてとり扱われる」としていることだ。米軍が平和をもたらしてくれた、という素朴な島民の思いから生まれた発想だろう。今から見れば悲しい錯誤というほかない。

 
「押し付け」でない証拠

 2014年5月、大島憲法の原本が行方不明になっている、と朝日新聞が報じた。戦後の日本人の憲法への思いを示す貴重な史料が失われたことはかえすがえす残念である。
 だが、この報道がかえって大島憲法が見直されるきっかけになったことも事実だ。
2017年、東京・調布市の郷土史家の古橋研一氏が『幻の大島憲法草案』と題する280ページの冊子を作製した。古橋氏は国会図書館で元村の旬間広報紙「もとむら」の2号(46年2月25日発行)~第8号(同年9月15日発行)の写しを見つけた。そこには6村長らでつくる準備委員などに関する記述があったことから、さまざまな資料をまじえて冊子にまとめた。毎日新聞が17年月4月26日付都内版で報道。記事によると、古橋氏は大島憲法について、「日本共産党の新憲法の骨子」と共通点があるとしながら、「骨子の理念を取り入れ、独自の憲法草案を作った」と結論。「GHQと関係のない素人が作った憲法草案が、現行憲法に通じる主権在民や平和主義をうたっている。戦争から学んだ当時の一般国民がこうした考えをもっていたことが分かる」と評価しているという。
 同じ17年月、東京新聞が「大島大誓言が教えるもの」と題して①主権在民を掲げ、リコール制も盛り込んでいる②戦前、大島では自治権や公民権を制限する「島嶼町村制」という差別的な制度が敷かれていた③こうした状況を反面教師とした――などとして「大誓言の存在は、明治から昭和にかけて数多くつくられた私擬憲法とともに、平和主義や主権在民が、日本人が自ら考え出した普遍的結論であることを教えてくれる」と論評した。
 今年7月、東京・紀伊國屋サザンシアターで青年劇場「みすてられた島」が公演される。大島憲法から構想を得て、突然本土から独立を言い渡された架空の島の混乱を描くもので、中津留章仁演出。大島憲法そのものが直接のテーマではないが、島の人たちが「独立となれば憲法を作らねば」とかんかんがくがくの議論をする、というストーリー。憲法とは何なのか、を考えるうえでの一つの素材の提供になりそうだ。
 安倍晋三首相は「現憲法はアメリカからの押し付け憲法」として、在任中に改変への道筋をつけようと政治生命をかけるなか、以上みたとおり大島憲法がクローズアップされている。現憲法は国民が求める憲法であったからにほかならない。

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