スサノオ追跡 《スサノオはどこから来たのか?》片山通夫

  高天原で大暴れしたスサノオはついに高天原から追放された。スサノオは、そのまま新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降りたという。ところが「この地、吾居ること欲さず」(「乃興言曰 此地吾不欲居」)と言った。 そして、息子の五十猛神(イソタケル)と共に土船で東に渡り、出雲国・斐伊川上の鳥上の峰へ到った(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯」)。その後、出雲で八岐大蛇を退治した。 そのとき五十猛神が天から持ち帰った木々の種を、韓(朝鮮)の地には植えず、大八洲(おおやしま、本州のこと)に植えたので、大八州は山の地になったと言う。

 つまり、スサノオは高天原から追放されて、そのまま、大八洲(日本)には降りて来なかった。ではどこに降り立ったのか?不思議なことに朝鮮半島の新羅の国・曽尸茂梨に降り立ったのだった。随分と遠回りしたものである。どの程度の期間、新羅にいたのかは定かではない。ただ「ここは私のいるべき地ではない」とさっさと土船で東に漕ぎ出した。着いたところは出雲の国・斐伊川(ひいかわ)の上の鳥髪山(現在の船通山)。とんでもない所に土船は着いた。
 スサノオはそして出雲の国でスサノオはクシナダヒメをヤマタノオロチの魔手から救った。この時ちゃっかりとヤマタノオロチ退治と引き換えにクシナダヒメとの婚姻を約束させている。
 余談だがどうも日本の神様は好色なのが多いように思えるのは筆者の偏見か。

 なぜスサノオは新羅へ降り立ったのか。これが筆者にとっては大きな謎である。ただ当時の中国から朝鮮半島にかけては日本に比べて数段文明が進んでいた。おそらく当時の新羅は日本が青銅器文化だったのに対して、鉄器文化だったのだと思われる。

 何しろ神代の時代の話だ。あやふやなところが多い。まっすぐに出雲の国のの斐伊川上流に天降った説とともに、朝鮮半島南部の新羅を経由して出雲国へ至ったという説、または韓郷(からくに)から紀伊国を経て熊成峯(くまなりのたけ)に降りたという説までが『出雲国風土記』に記載されている。
 重要なことだがスサノオは『出雲国風土記』にある鉄関連の伝承と結びつけて、製鉄技術を朝鮮半島から伝えたと考えられている。出雲は砂鉄から製鉄し玉鋼(タマハガネ)を作るタタラという技術が存在したし、今も伝えられている。

銅鐸 銅の文化 島根県立古代出雲歴史博物館
たたら 砂鉄を熔解する 和鋼博物館蔵