スサノオ追跡 《スサノオはどこから来たのか?》

鉄の歴史
製鉄は世界史の中で画期的な技術だった。鉄器の時代の始まりはおよそ3200年前だと言われている。ちょうどヒッタイト帝国が終焉を迎え、古代オリエント世界は一気に青銅器時代から鉄器時代に入った時期だということである。紀元前1200年ごろ、鉄を独占してきたヒッタイト帝国が滅亡し鉄の文化、技術が各地に散らばった。その技術は当然ながら、インド、中国などを経て朝鮮半島に至った。伝えたのはタタール(韃靼)だと思われる。いやその前に5~6世紀に『鉄の鋳造や金の採取の業』を専門とする騎馬民族・突厥がいた。6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家。もともとはジュンガル盆地北部からトルファン北方の山麓にかけて住んでいた部族で、柔然の隷属の下でアルタイ山脈の南麓へ移住させられ鍛鉄奴隷として鉄工に従事したが、552年に柔然から独立すると、部族連合である突厥可汗国(突厥帝国などと呼ばれることもある)を建て、中央ユーラシアの覇者となる。582年には内紛によって東西に分裂した。彼らはいわゆる製鉄の名手だった。その技術はヒッタイトから奪ったのか学んだのか、いずれにしろヒッタイトが製鉄の源であったようだ。

さて5・6世紀頃というと我が国ではどんな時代だったか少し復習しておきたい。

弥生時代:紀元前4世紀頃から3世紀頃まで
⇒2世紀初めには鉄器が普及する(弥生時代後期)

古墳時代:3世紀半ば頃から7世紀頃まで
⇒卑弥呼(170年頃 – 248年頃) 邪馬台国の女王(在位188年頃 – 248年頃)・魏と通交し「親魏倭王」の称を得る
⇒三角縁神獣鏡(銅製)が主に近畿圏を中心として、全国各地の古墳から出土し、その総数は約500枚程度と言われる。
⇒4世紀以降、朝鮮半島で鉄資源の供給地としてのいわゆる任那地域などに進出したことが、広開土王碑文(西暦414年に建てたとされる)などからも知られる。

飛鳥時代:6世紀末から710年まで
⇒任那:倭(古代日本)が朝鮮半島南部に設置した統治機関として日本書紀に言及されている。少なくとも、下記に列挙される史実を根拠として、倭国と関連を持つ何らかの集団(倭国から派遣された官吏や軍人、大和王権に臣従した在地豪族、あるいは倭系百済官僚、等々)が一定の軍事的・経済的影響力を有していたと考えられている。

奈良時代:710年から794年まで。平城京に都が置かれた時代である。平城時代ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。 ウィキペディア

 事の真偽は定かではない。ただ筆者の妄想かもしれない。しかし、鉄文化をめぐる争いに出雲王国は敗れてヤマトに国を譲ったことだけは確かだ。 ここでややっこしい民族名を解説しておく。
ヒッタイト:インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国を指す。なお、民族としてのヒッタイトは、ヒッタイト人と表記されることもある。 他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。 ウィキペディア
突厥(とっけつ):6世紀に中央ユーラシアに存在したテュルク系遊牧国家。もともとはジュンガル盆地北部からトルファン北方の山麓にかけて住んでいた部族で、柔然の隷属の下でアルタイ山脈の南麓へ移住させられ鍛鉄奴隷として鉄工に従事したが、552年に柔然から独立すると、部族連合である突厥可汗国を建て、中央ユーラシアの覇者となる。 ウィキペディア
タタール(韃靼):北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、ツングース系およびサモエード系とフィン=ウゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々な人々によって用いられてきた民族総称である。 ウィキペディア

新羅:新羅は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。朝鮮半島北部の高句麗、半島南西部の百済との並立時代を経て、7世紀中頃までに朝鮮半島中部以南をほぼ統一し、高麗、李氏朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。 ウィキペディア

百済:百済は、古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。 百済の歴史はその首都の移動によって、大きく漢城時代、熊津時代、泗沘時代に分類される。漢城期には現在の京畿道を中心としていたが、高句麗の攻撃によって首都漢城が陥落し、一時的に滅亡した後は、現在の忠清南道にあった熊津へと遷って再興した。 ウィキペディア