スサノオ追跡《青銅器から鉄器の時代へ》片山通夫

弥生時代の青銅器や古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀(島根県立古代出雲歴史博物館蔵)

先に述べたように鉄器はヒッタイトが独占していたようだ。しかしヒッタイトが滅亡の危機に陥ると、製鉄と鉄器を作る技術は世界へ流出してゆく。ちょうど鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソ連邦の核技術が研究者とともに他国へ移っていったように。

 さて本題。一般論として、鉄の方が、硬度も強度も高い。焼入れも鉄の方が優れているから、刃物を作る適性は鉄のほうが圧倒的に簡単。無論青銅でも剣は造れるが刃こぼれなどを起こしやすい。
 また青銅の原材料となる銅鉱石や錫鉱石は鉄に比べて少なくかつ高価だと言える。そこで丈夫でどこででも手に入りやすい鉄が有用だと人々は気が付いた。
 およそ武器は丈夫でなければならない。その点でも、鉄の剣は青銅の剣に比べて優れていた。 島根県立古代出雲博物館が出雲大社近くにある。写真の剣は島根県出雲市斐川町神庭の荒神谷遺跡から出土した。358本の銅剣は、全て全て中細形C類と呼ばれるもので、長さ50cm前後、重さ500gあまりと大きさもほぼ同じである。弥生時代中期後半に製作されたとみられている。この形式の銅剣の分布状況から出雲で製作された可能性が高いと思われている。

 当たり前のことだが、この大量の青銅器が出雲で造られていたということは、それなりの技術集団が存在したということになる。彼らがのちの鉄の生産に携わったのかもしれない。