スサノオ追跡《 新羅の国・曾尸茂梨から出雲へ》片山通夫

素戔烏尊率其子 五十猛神 降到於新羅曾尸茂梨之處矣 曾尸茂梨之處 纂疏新羅之地名也 按倭名鈔高麗樂曲有蘇志摩利 疑其地風俗之歌曲乎 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作船 乘之東渡 到于出雲國簸之河上與安藝國可愛之河上所在鳥上峰矣

 スサノオは子のイソタケルを率い新羅の曾尸茂梨(ソシモリ)に降りた(曾尸茂梨は新羅の地名である。倭名鈔(和名類聚抄)の高麗樂曲にある蘇志摩利(ソシマリ)はその地の風俗を歌う曲である。)スサノオが言うにはこの地に私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸之河上と安芸国可愛之河上にある鳥上峰に至った。

註:『和名類聚抄』二十巻本第10卷にある蘇志摩利の記述を引用した『先代旧事本紀』

 当時、朝鮮半島・新羅の国に曾尸茂梨(ソシモリ)というところがあり、スサノオはいつの間にかできた息子イソタケルを伴って高天原から降り立ったが「ここは自分のいるべき場所ではない」と土船を作って出雲に漕ぎ出したというのである。ただ現在のところ、ソシモリの正確な場所は確定できていない。ただ不思議なのはせっかく降り立ったソシモリが自分のいるべきところではないと結論付けたことだ。無論日本書紀という倭の国の書物なのだから、早々に出雲に来てもらわなければならないのだが。

 筆者の推測だが、この頃の新羅=朝鮮半島では鉄器が使われていたはずである。青銅器に勝る鉄器を作る技術を輸入したい倭の国はスサノオをして出雲に移動させたと思うわけである。

 今一つ面白いのは「埴土で船を作り」の部分である。埴土とは粘土質が50%以上含む土であり、排水や通気性が悪いという。つまり水を通さないから船には適しているというわけだろう。もしかして砂鉄も含有していいたのかもしれない。