2019Lapiz秋号《巻頭言》 :Lapiz編集長 井上脩身

 

中西氏

 私は「令和」という言葉の響きによい印象をもっていません。夏号の巻頭言でもふれましたが、「冷和」という文字が頭をよぎり、平和が冷える、つまり平和でない時代になるのでは、と不安になるのです。

 「令和」の考案者とされる国文学者・中西進氏に対するインタビュー記事が6月11日付の毎日新聞に掲載されました。紙面には「令和 平和への祈りうるわしく」との見出しがおどっています。記事のリード(前文)には、「3時間に及ぶインタビューで中西さんは令和を『うるわしく平和を生きていく願いがこもった元号だと了解していいでしょう』と語った。そして忘れえ得ぬ戦争体験を明かし、不戦を誓った憲法9条を『世界の真珠』とたたえた」とあります。

 中西氏は、令和には9条の平和の願いが込められている、というのです。私は1ページをまるまる費やしたこの記事を何度も読み返しました。

 令和の典拠は「万葉集 巻第五 梅花の歌三十二首?せて序」の「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」(読み下し文)によります。この現代語訳は「新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」(中西進『万葉集』講談社)。

 中西氏によると「令和」の2文字は大伴旅人らが大宰府で開いた梅花の宴で詠んだ32首の中から取られたもので、令は玉と考えていると中西氏。「玉は光を吸収し、その光源は内にたまる。気品ある端正な美というのが令の語感」といいます。

 和については「合わせるという意味がある。やさしいという意味もある。みんながやさしく力を合わせている」と説明したうえで、「やわらかいという意味もある。武力のハードパワーでなく、ソフトパワーを大切にしなければならない」と付け足しています。 

 中西氏は昭和ヒトケタ世代。終戦の玉音放送は東京・高田馬場の軍需工場で聴いたそうです。父親の仕事の関係で広島の中学校に通っていたことがあり、爆心に近い校舎にいた同級生20人が原爆の犠牲になったといいます。また東京空襲の記憶も鮮明で、「空襲警報が鳴るたび、庭に掘った防空壕から母が叫ぶ。早く入りなさい!早く!と。夜が明けると、あたりは焼け野原、いたるところに死体がごろごろしていました」と語っています。
写真:国文学者・中西進氏(6月11日付毎日新聞より)

 「いま、戦争を知らない人たちは改憲へまっしぐら」という中西氏。9条に自衛隊を明記するという安倍晋三首相の方針に対して、「私たちにとって9条の変更はあり得ません。世界の真珠です。ノーベル平和賞クラスです」と強く批判。「国際的でありながら自立的、このふたつを矛盾なく持つ希有な万葉の精神、そして令和の精神をどう生かすか。選挙で改憲などを争うのではなく、戦争のなかった平成の時代をさらにバージョンアップさせる方法こそ政治家たちは論じ合うべきだ」と主張します。令和の考案者ならではの万葉護憲論と言えるでしょう。
 しかし、明治、大正、昭和と続いた元号制度には天皇主体の国家主義的な匂いを私には拭い去れません。そして、天皇の名のもとに戦争が行われた歴史を思うと、私はどうしても元号が好きになれないのです。私はどうしても元号表記しなければならない場合以外は西暦で書きます。

冒頭、令和によい印象をもっていない、と書きましたが、実際、元号を万葉集から採ったことには専門家からも疑問の声が上がっています。小松靖彦・青山学院大教授は大伴家持の長歌から引用された楽曲『海ゆかば』の「海行かば 水漬(づ)く屍(かばね) 山ゆかば 草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」が満州事変(1931年)後、小学校の教科書に載るようになったことを取りあげ、「『海ゆかば』の歌詞を胸に死んでいった人たちがたくさんいたことを忘れてはならない」と警告。戦時中、「万葉集の精神で」という言葉が飛び交った」と指摘し、「万葉集をどう享受し継承するか、今に生きる私たちにかかっている」と訴えます。(4月16日付毎日新聞)

 天皇制と憲法9条は矛盾しているのではないでしょうか。この疑問に三谷太一郎・東大名誉教授は次のように応えています。

 「憲法制定に至る日米間の折衝で、連合国最高司令部(GHQ)は、憲法の前文や条文に国民主権を盛りこむことに強く固執した。日本側は、なんとか国民主権を挿入しないで済むよう抵抗したが、それでは天皇の地位は約束されなかった。平和主義も同じく、天皇制を残すには必須だった。つまり憲法の国民主権も第9条も、象徴天皇の規定と密接関連している。だから、憲法9条を変えるということは、天皇制の根幹に触れる問題。憲法改正は日本の政治社会を分断し、象徴天皇制の基盤を間接的に脅かす可能性がある」(5月1日付同紙)
 
 国民主権、憲法9条、象徴天皇制はワンセットのもので、憲法9条を変えることは象徴天皇制をも揺るがすもの、というのです。三谷氏は、「今回、元号の陰に政治的意図が見え隠れすることに違和感を覚えた。象徴天皇制の将来のために、元号の政治利用は避けた方がよい」と苦言を呈します。おそらく安倍首相が天皇譲位や新元号の決定に際して裏で何らかの画策をしたのではと疑っているのでしょう。

 中西氏が求める平和主義が令和の時代も続いてほしい、と誰もが願います。しかし元号の陰に政治的意図が見え隠れしたことから、「大君のために」戦場に若者が行くというあの忌まわしい時代にならないか、との懸念を消し去ることができません。
憲法9条を変えようとの動きが強まるなか、今号の「びえんと」では、新しい天皇の即位に際しえの「おことば」を通して、天皇と憲法の関係を考えてみました。