旅するカメラ《ピカドンの町》片山通夫

 「赤茶一色の瓦礫の街」に一瞬で変わった。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことである。 太平洋戦争末期、米軍機が世界で初めて原子爆弾を投下した。広島は一瞬にしてヒロシマとその名を変えた瞬間である。核兵器「リトルボーイ」は確実にその使命を終えた。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃であった。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 – 16万6千人が被爆から2 – 4か月以内に死亡したとされる。