渡来人たちの宴《短かった百済の春》片山通夫

百済が簡単に滅びた原因はいくつかあると思われるが、ここで筆者の妄想を紹介したい。

百済の建国は古い。紀元前18年の建国から660年の滅亡まで約700年の歴史を持つ。百済は漢江の中流から下流に起り、次第に周辺の小国家を併合しつつ発展した。しかし紀元後475年に高句麗に首都のソウルを奪われて熊津(公州)に遷都し538年には泗沘(扶余)に遷都した。
筆者の妄想では、いわゆる引っ越し貧乏だったのではないかと思うわけである。この間に、百済は外国とも積極的な外交を展開し、科学と技術を発達させて優れた文化を花咲かせ、先進的な文化国家を築き上げた。ところが百済の王族・貴族たちは文武両道というわけではなかったようである。 “渡来人たちの宴《短かった百済の春》片山通夫” の続きを読む