渡来人たちの宴《スサノオは渡来神だった?》 片山通夫

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 もちろん時代ははっきりとはしない。証拠もない。ただあるとすれば日本書紀だけといっても過言ではない。学者先生方はそれでは満足されないし、素人の戯言と一笑に付されると思う。しかし、縄文時代の終わり頃から弥生時代には不思議なものがみられた。ストーンサークルである。まあそれはいい。ただ誰が何の目的で作ったのかがはっきりしないところがミステリアスで興味深い。
写真は秋田県鹿角市、大湯環状列石。日本国内に所在する最大級のストーンサークルである。(.org/w/index.php?curid=72959085による)

筆者にとっては秋田県という場所があまり気に入らないが、実際にそこに存在するので致し方ないというあきらめの境地。
なぜかというと、いささか秋田県は北過ぎだ。せめて高志の国(越後・新潟)あたりにあれば、スサノオ絡みで話が進むのだが…。 まあ嘆いていても仕方ない。話をスサノオに戻す。
日本書記の《一書》にスサノオは高天原から追放されて一旦新羅の曽尸茂梨に降り立ったとある。
曽尸茂梨・そしもりとは[日本大百科全書(ニッポニカ)の解説・吉井 巖]によると、
古代朝鮮、新羅(しらぎ)の地名。『日本書紀』第四の一書に、高天原(たかまがはら)追放後、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天降(くだ)った土地とある。曽は金の朝鮮古音(そい)の音借字、尸は連辞(格助詞ノ)、茂梨は山(鷲益嶺(すりもり)――黄海道鳳山(こうかいどうほうさん))。すなわち金の山、輝く山の意。神降臨にふさわしい聖所である。皇孫が降臨する高千穂(たかちほ)の添山(そほりのやま)(一書六)の「添」も、金の梵(ぼん)称スバルナの漢訳「蘇伐羅(すばるな)」に由来をもつ語であり、添山は曽尸茂梨と同意である。神降臨の地に韓名をもつのは、わが国の垂直降臨伝承と韓土との関連を示唆する。

日本書紀の一書に記載されている新羅はおそらく統一新羅のことだろう。つまり江南の春を謳歌した百済が白村江の戦いで滅んだ後のことだと思える。

そしてその神名は地名須佐(すさ)と関連をもつとともに、さらに「すさ」は、根源には新羅(しらぎ)の巫覡(ふげき)王・次次雄(ススン)に淵源(えんげん)をもつものであろう。この神には新羅への天降(あまくだ)りなど、朝鮮関係の記事が多い。その信仰は、韓海人(からあま)を含む紀伊水軍によって朝鮮より運ばれ、渡来文化と結び付く蕃神(ばんしん)的色彩を残しつつ、しだいに複雑な祖霊的神格として紀伊より出雲に展開したと推定される。

(民俗,民俗学,伝説,神話,神話体系,国語項目,故事成句 http://folklorelegend.blog84.fc2.com/blog-entry-275.html)

ともあれ、スサノオは新羅へ降り立った。しかしながら「ここは私のいる場所ではない」と称して土船を造ってさっさと倭の国へ渡ったという。その時に行きがけの駄賃なのかどうかはわからないが、その土船に色々なものを積み込んだ形跡がある。樹木の種を日本にもたらし、日本列島を青山にしたともいわれている。これは何を意味するのか?

 筆者は統一新羅の前の伽耶国に注目した。釜山の近郊に金海という地域があり、そこに金海国立博物館がある。そこの展示物に写真のようないうなれば溶鉱炉があった。製鉄がされていたのだ。伽耶はいくつかの小国家の連合国家であり、常に新羅や百済という周辺国からその存在を脅かされていた。残念ながら古代国家としては存在しえなかったが、優秀な鉄器文化を発展させた。そしてその製品や製鉄技術を倭の国・対馬を通じて北九州へも伝えた。しかし伽耶は562年に新羅に滅ぼされた。その後676年には半島の大同江(現在の平壌を流れる河)以南を統一支配した。これが統一新羅である。
左は伽耶時代の製鉄の様子

ともあれ当時の朝鮮半島南部は製鉄の技術が盛んだった。当然「戦う神・スサノオ」もその製品に着目した。そして息子の五十猛神(イソタケル)が高天原から持ち帰った木々の苗もしくは種子を倭の国で植えて倭の国は木の国になった。
これは製鉄に必要な木炭を製造するための植林であった。ただ倭の国には鉄鉱石はなかった。川の砂から砂鉄を集めて製鉄に供したと思われ、出雲に今も伝わる「たたら」にその歴史がみられる。

筆者の妄想では朝鮮半島南部から製鉄技術を倭の国にもたらしたのはスサノオだったのだ。誰かが持ってこなくては倭の国にはたたらの技術も育たなかった。そしてスサノオは渡来神だった。

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