渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス》片山通夫

少し遡ってみる。Lapiz春号で掲載した「渡来人たちの宴」では白村江の戦いで終わった。時は7世紀半ばのことだった。本稿で取り上げる卑弥呼は2世紀頃の人物だと思われる。およそ500年ほど遡ることとなる。
卑弥呼が歴史に登場するのは中国の『三国志』の中に書かれている『魏志倭人伝』。邪馬台国に都をおいていたとされる。卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩(この時代の中国の百歩は日本の二百歩に相当する)もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。
そして卑弥呼に関しては「鬼道」で衆を惑わしていたと魏志倭人伝にある。

吉野ケ里歴史公園 弥生時代への旅

さてその卑弥呼だが鬼道で衆を惑わせたとはいったいどのような鬼道だったのか。おそらく亀の甲羅や動物の骨を焼いてひびをもって占ったと思う。そして天文に知識があり日食や月食をまるで自身の力で起こしたかのごとくふるまったのではないだろうか。
彼女の一日は日昇とともに始まり日没で終わったのではないか。雨や曇りの太陽が出ない日は一日中神殿にこもって祈りをささげた。その祈りをささげる象徴は銅鏡である。
景初(中国の元号)二年(239年)12月 – 卑弥呼、初めて難升米らを魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられた。
銅鏡は卑弥呼はすでに手に入れていた。

卑弥呼が弥生時代にはあった高床式の神殿で太陽や月の光の反射で人々を照らす姿を想像してもらいたい。その姿は高天原で君臨していたアマテラスをほうふつとさせるのではないか。また卑弥呼の気性は激しく人との接触も絶ちただ一人音音だけに心を許したようだが、その神聖を保つための彼女なりの方策だったと思う。またテラスのエピソードに弟・スサノオの乱暴狼藉に天岩戸に隠れる話がある。なぜか卑弥呼の生活を思わせるのはうがちすぎとも言えない。

筆者の心の中では日本神話に出てくるアマテラスは卑弥呼だったのではないかという疑いを捨てきれない。卑弥呼も日本の国の基礎を作った。アマテラスは日本の神の総元締めであり天皇の祖先である。