渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス 2》片山通夫

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吉野ケ里遺跡公園

卑弥呼は太陽をあがめた、いや、太陽を利用した。月の満ち欠け、太陽の満ち欠けなど天体の現象を読み、鬼道に利用し国を治めた。そうでないと小国家間の争いをまとめ、それらの国の集合体に君臨することはかなわなかったはずである。

卑弥呼は太陽を司っていた。時代は弥生時代である。農業が盛んな時代だといえる。卑弥呼は中国や韓国から今でいう天文の知識を得たと思う。さて本題。

卑弥呼像 長崎本線神崎駅

鬼道をよくした卑弥呼は国をその鬼道で治めた。改めて言うと、鬼道とは今でいうシャーマニズムである。天候を読み、コメの出来不出来など生活にかかわる吉凶を亀甲や骨を焼き、ひびのつき方や割れ具合などで占う。

今年の正月、まだコロナウイルスがわが国では騒がれていなかった、もしくは潜在していたのかも知れないが、表立っては何もなかった時、北九州へ行った。主な目的は鉄器の時代を知ることと吉野ケ里遺跡を見ることだった。つまり弥生の時代を感じることが目的だった。は広大な公園になっていた。案内してくれた知人も何度か来たことがあると話す。そこは太い丸太で砦のようなところだった。
縄文時代は一言でいえば狩猟の時代だった。言ってみれば攻めの社会だった。ところが弥生時代になって稲作が盛んになった。狩猟と違って、一か所に腰を落ち着けて農業を営むという守りの生活になった。獣という外敵から、もしくは他の部族からチームを組んで集落を守ることが必要となってきた。

216年、曹操(孟徳)が魏王となり魏王宮を建設。体調が優れず寝込んでいた曹操(孟徳)に天文官の許芝が管輅(公明)を紹介。召された管輅は幼少のころから天文に精通し非常によく的中する占いで有名だった。つまり魏王朝では天文学や占いの学問に魏はたけうんを経由ていた。卑弥呼は239年中頃から、たびたび朝鮮半島の帯方郡と経由して魏に使いを送り、魏の皇帝から親魏倭王の称号を受け、天文学の知識や銅鏡などをさずかったと言われている。これは卑弥呼の存在や能力を高める効果があった。

魏志倭人伝という書物が残っている。邪馬台国と卑弥呼の関した記述がある。その魏志倭人伝によると「倭国は元々男王を立てていたが、70~80年も経つと国全体が長期間の騒乱に陥った(倭国大乱)。そこで、卑弥呼と云う少女を女王に立てると、混乱は鎮まったと謂う178~184年頃のことと推定される。
他に、「卑弥呼は鬼道に長け、民衆を惑わした」、「夫を持たなかったが、弟がいて彼女を助けていた」などということが、記されている。

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