渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス 3》片山通夫

 魏志倭人伝という史書だが、当時も今も卑弥呼に関して書かれた物は他に見当たらない。つまり検証のしようがないということにもなる。まして外国の史書であり、唯一残されただけに、ありがたく信ずるのもいいが、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称であり、必ずしも正確に記録されたものではないという印象がある。
しかしながら当時(3世紀頃)の倭国(日本)に関して書かれた唯一のものなので、貴重な書であることは当然である。しかしながら書かれている内容すべてが正しいとも思えない。

いずれにしても卑弥呼は実在した。彼女は女性であり、鬼道(シャーマニズム)をよくして人々の上に君臨した。一方、実在はともかく、日本神話に登場するアマテラスもやはり神の力で太陽を操り人心をつかんだ。典型的な例が天岩戸に隠れ、世の中が闇に包まれたというエピソードがある。アマテラスの母神はイザナミで火の神を生み火傷で亡くなった。そして黄泉の国で朽ち果てたと言われている。残されたアマテラスは長姉で下に二人の弟がいる。物語は弟神のスサノオを中心に進む。
スサノオはアマテラスの住む高天原で乱暴狼藉を働き遂には高天原を追放されるという何とも人間的なエピソードの持ち主だった。これらのエピソードは、日本神話の骨格をなす。

アマテラスは魏志倭人伝に書かれている卑弥呼をほうふつとさせる。卑弥呼は独身で夫をもたない。夫を持つと鬼道を扱えないのではないか。神に仕える身は伊勢神宮の斎宮もまた未婚の女性だった。余談ながら伊瀬神宮の祭神はアマテラスである。
卑弥呼があまりに生々しい存在では、いかに鬼道を心得ていても人心を惑わすわけにはゆくまい。
ただ日本神話は古事記や日本書紀に書かれている。書かれた時代は古事記は元明天皇の時代の712年、日本書紀は元正天皇の時代の720年。魏志倭人伝よりずいぶん時代は下がっている。魏志倭人伝を、卑弥呼を意識しての古事記や日本書紀であったかは定かではない。