渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス 4》片山通夫

漢委奴国王印

 さて卑弥呼は魏志倭人伝に書かれているように実在した。それからずっと時代は下って奈良時代に我が国の歴史書が編纂された。古事記と日本書紀である。前回書いたように古事記は元明天皇の時代の712年、日本書紀は元正天皇の時代の720年。8世紀の話だ。その頃に魏志倭人伝が読まれたのか否かは筆者にとっては不明である。しかしながら8世紀頃には我が国では読まれてはいなかったようだ。 学者でもない筆者が見落としているのかもしれないが、記紀を読んだ限りでは、いずれの書にも魏志倭人伝や邪馬台国はおろか卑弥呼の名前も出てこない。なぜかと考えたが、簡単に言うとまだその頃には魏志倭人伝は知られていなかったのではないかと思う。例えば金印だが、江戸時代天明年間(天明4223日(1784412日)とする説がある)、水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したという通説がある。つまりそれまで我が国では知られていなかった。

 しかしながらアマテラスは古事記に出てくる。そして我が国の祖、つまり天皇家の祖先というわけだ。そして天皇家の印としての三種の神器に鏡がある。鏡は太陽を象徴する。卑弥呼の鏡も彼女が使うとされる鬼道の重要なツールだったお思われる。そしてアマテラスも。(続く)