渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス 5》片山通夫

古代の鏡

 ここで妄想をたくましくすることとしたい。三種の神器のうちの鏡の話である。おさらいをしておきたい。三種の神器とは日本神話において、天孫降臨の際にアマテラスがニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた三種類の宝器であるところの鏡・八咫鏡(やたのかがみ)と剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣、読み:くさなぎのつるぎ)と玉(璽)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の総称をいう。中でも八咫鏡は記紀神話によれば、天照大御神の岩戸隠れの際に天津麻羅(鍛冶の神)と伊斯許理度売命(作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神、天糠戸(あめのぬかど)の子)が作ったとされ、『日本書紀』には天照大神を象って作られたことや、試しに日像鏡や日矛を前もって鋳造したことが伝わる。天宇受売命が踊り狂い、神々が大笑いすることを不審に思った天照大御神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大御神自身を映して、興味を持たせ、天手力男神によって外に引き出した。そして再び高天原と葦原中国は明るくなった、という神話は有名だ。 “渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス 5》片山通夫” の続きを読む