渡来人たちの宴《日食》

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天岩戸の前で踊る天鈿女命

 少し話がずれる。アマテラスも卑弥呼も太陽をあがめ、利用し、そして自らの化身を太陽とした。その象徴が鏡であったことはすでにのべた。

 古代の社会では勿論地球が丸いことや月が地球の周りを公転していることなど、知る由もなかった。また、自分の住む地域から遠く離れて移動することもなかったので、月食や日食は自分のす住む地域かその周辺での見ることになる。そしてこれらの現象は現代のように予測のつくはずもなく「突然」起こる。故に人々は恐れおののくこととなる。

  中国・前漢の最高権力者呂后が日食を目の当たりにし「悪行を行ったせいだ」と恐れ、『晋書』天文志では太陽を君主の象徴として日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説しており予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれている。中国の日食予報は戦国時代から行われていたが、三国時代に編纂された景初暦において高度な予報が可能となった。
前漢(ぜんかん、紀元前206年 – 8年)は、中国の王朝である。秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦によって建てられ、長安を都とした。(ウイキペディア)

 前漢の時代、すでに中国では「景初暦において」高度な日食、月食の予測が可能だった。卑弥呼がその知識を知ることは出来たと推測(妄想)する。ただ卑弥呼の時代、顕著な日食が起こったかどうかというと卑弥呼の死とともに皆既日食はおこった。
 国立天文台報に次の記述を見つけた。

国立天文台報 第13, 85992010
『天の磐戸』日食候補について
谷川清隆,相馬 充

紀元2489 5 日の日食.斉藤は,248年は卑弥呼が死亡した年であることを指摘する.たいへん魅力的な日食ではあるけれども,この日食が大和付近で皆既にならないことも指摘する.
 斉藤は,「卑弥呼の死んだときの日食を大和地方で見て皆既らしい表現に誇張変造したことは大いに考えられる」とし,この日食を「天の磐戸」日食とすることに同情的である.「248年日食はかなり有力候補だと思う」と述べる.

 ただこの時代、つまり記紀が編纂された時代に卑弥呼の存在が知られていて、彼女の死亡時に皆既日食が起こったかという知識があったかどうかは定かではない。

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