沖縄《「慰霊の日」に思う》童話にみる沖縄のこころ 文 井上脩身

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『月と珊瑚』(講談社)の表紙

  沖縄戦が終結して75年を迎えた「慰霊の日」の6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」が沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた。玉城デニー知事は辺野古基地の建設が進められている大浦湾について、「絶滅危惧種262種を含む5300種以上の生物が生息しているホープスポット」と述べ、希望の地が戦争という血みどろの地になることへの強い危機感を表明、「沖縄のこころ」を前面に押し出した。わたしはたまたま童話作家、上條さなえさんの、沖縄を舞台にした『月と珊瑚』(講談社)を読んでいるところだった。主人公の女の子は、「沖縄は血と涙と珊瑚礁でできた島」と知る。その島のサンゴは破壊され、辺野古の島として、しまびとの血と涙が流れかねない瀬戸際にたっている。この本は今年度の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書だ。多くの子どもがこの本を読むだろう。「沖縄のこころ」とは何だろう。子どもたちには『月と珊瑚』から自分なりに何かを感じとってほしい、と私は願う。

10歳のホームレス暮らし

童話作家、上條さなえさん(『童話を書きたい人のための本』より)

 1950年生まれの上條さんは、10歳のころ父親の事情でホームレス暮らしをし、学校にもいけなかった。そのどん底時代をつづった『10歳の放浪記』(講談社文庫)を2006年に刊行。私は数カ月前、この本のことを知り、以来、上條さんの童話を読むようになった。

『10歳の放浪記』は1960年、上條さんが帝銀事件の現場に近い小学校の5年生に進級したところから始まる。あるとき、母親が上條さんを九十九里浜の親戚の家に連れていき、「一晩だけ泊まったら迎えにくる」といって帰っていった。母親が迎えにきたのは20日もたってから。都電通りの家に間借りし、母子二人で暮らす。その年の暮れ、「お父ちゃんが会いたがっている」と母親にいわれ、上條さんは池袋のデパートで父親に会った。父親は1泊100円のベッドが並ぶ簡易宿泊所を転々としている。父親が朝、日雇いの仕事を求めて職安に行くと、上條さんは10時まで5年生用の漢字と算数のドリルで一人勉強。その後、映画館の切符切りの女性に、「中にお父さんがいる」とうそをいって映画を見るなどして、父親が帰るまでの時間をつぶした。

 やがて父親は仕事に行かず、昼間から酒をのむようになった。放浪暮らしが10カ月になった1961年10月、千葉県にある都の養護学園に、1年遅れの5年生として入園。学園は何らかの理由で学校に行けない子どもたちのために設置されたもので、このときの入園者は3~6年生の男女40人。学園には四つの寮があった。

 上條さんは「あとがき」のなかで養護学園での日々について「友だちから壮絶ないじめも経験したが、いつの間にか精神的に強くなって、いじめなんてなんでもない、それより、帰る家のない、明日泊まる所や食べることの心配をする方がどれだけ大変かを、子ども心にも思った」と述懐している。

 大学を出て小学校の教員になり、35歳のとき新聞社が主催する「小さい童話大賞」に応募した原稿用紙10枚の『さんまマーチ』が入賞。2年後、100枚の作品にし、同名の題で国土社から刊行、童話作家としてデビューした。

血と涙と珊瑚礁の島

『コロッケ天使』(学研)の表紙

 上條さんの童話は、ちょっと型破りなわんぱくぼうずやおてんばを主人公にすえ、読者をハラハドキドキさせる。代表作の一つ『コロッケ天使』(学研)では、遠くに一人で生活している母親の手作りコロッケが忘れられない、厩舎暮らしの無鉄砲な男の子の温かい心根をえがき、『恋と虹のファンファーレ』(国土社)では、やはり厩舎で暮らす女の子と、小人の魔女とのほのぼのとした交わりを紡ぐ。

 ほかに十冊ちかく読んだが、上條さんは社会問題よりも親子、兄弟、友だちなどの間のほんわかとしたつながりに目を注ぐ。おそらくそうした絆がずたずたにぶち切られた自分自身の子ども時代を振り返り、こうありたかったという思いを作品にこめえいるのであろう。

 豊かになった現代、上條さんのようにホームレス暮らしを余儀なくされた子どもはほとんどいなくなった。だが、人と人との心のつながりが切れている点では、むしろ今の方が切実かもしれない。いじめが元で自殺する子どもは後を絶たず、しかも学校現場はそれを隠蔽しようとしている。上條さんが『10歳の放浪記』の「あとがき」で「いじめなんてなんでもない」と思える強い子になったと書いていることはすでに触れた。現代っ子は精神的に弱い一方、いじめは集団化かつ陰湿化し、しかも気づかないか見て見ぬふりをしている教師は少なくない。上條さんの童話が社会性を帯びていないように見えるのは、彼女が社会問題に関心がないのではなく、あえて表面にださず、本来子どもは個性的で生き生きとした心をもっている、と言いたいのであろう。

 『月と珊瑚』に登場する子どもはみんな個性にあふれている。しかもテーマは現代沖縄。上條さんとしては大胆に取り組んだ作品だ。

 主人公は那覇市北部の新都心の小学校6年生の女の子。名前は「珊瑚」。

 新都心は元米軍の住宅地。1987年に返還された跡地に形成された。那覇市の中心部とモノレールでつながっていて、大型ショッピングセンターや総合公園がある那覇の新しい顔だ。

 珊瑚の母親は福岡で美容師をしていて、祖母の民謡歌手ルリバーと二人で暮らしている。ルリバーは10代のころ、米軍基地のレストランでデビュー。今は民謡酒場で、もっぱらアジア系観光客の前で歌っている。珊瑚はルリバーの影響を受けて民謡歌手になりたいと思っている。

物語はそんな珊瑚の日記のかたちで進む。

 珊瑚のクラスに東京から越してきた詩音という女の子がいる。校舎の上を戦闘機が飛ぶ音に詩音は、両手に耳をあて机につっぷす。やはり東京から転校してきたルナは、轟音に肩をすくめる。珊瑚はグァーンという低空飛行の音に慣れっこになっている。

 友だちのくるみの83歳の曾祖母が辺野古で座り込んでつかまったことから、物語は大きく展開する。

沖縄の海岸上空を飛ぶオスプレイ

 5月22日、授業で先生が「6月1日から平和月間が始まります」と話すと、詩音は「東京にはなかった」と不思議に思う。「沖縄では6月23日が戦争の終わった日」と答えると、「沖縄に関係のない私がなぜ平和集会に参加しなければならないのか」とくってかかる。その日、オスプレイが校舎の上を飛び、子どもたちに暗い影をおとす。

 ある日、ルリバーは珊瑚の曾祖母の身の上を明かした。北部の貧しい村に生まれ、那覇の遊郭に売らえたジュリだったという。ジュリは遊女のこと。ルリバーが歌手として知られるようになると「ジュリの子」と冷たい目で見られ、大阪に逃げたという。6月23日、ルリバーは珊瑚を連れて平和祈念公園へ。「平和の礎」の前でルリバーは「みんな生きたかったやろな。お年寄りから赤ちゃんまでこんなになくなってよ」といって泣く。珊瑚は作文に書いた。「大人になっても、沖縄が血と涙と珊瑚礁でできた島だといったルリバーのことばをわすれません」

 以上が『月と珊瑚』の粗筋である。

島ことばの平和宣言

 新型コロナウイルス禍のなか、今年の「慰霊の日」の追悼式は参加者を160人にしぼって開催され、戦後75年の節目として予定されていた広島、長崎の両市長、国連代表の招待は見合わせられた。

平和宣言をする玉城デニー沖縄県知事

 本稿の冒頭で一部触れたが、玉城知事は「平和宣言」のなかで「国土面積の約0・6%に米軍専用施設の約70・3%が集中し、米軍人・軍属などによる事件・事故や航空機騒音、PFOSによる水質汚染などの環境問題は、県民生活に多大な影響を及ぼし続けている」と、米軍の中に沖縄がある異常な現状を指摘。「沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え、平和を希求する『沖縄のこころ・チムグクル』を世界に発信し、共有することを呼びかける」と誓いを新たにし、最後に島ことばで次にように述べた。

 此(く)りまでぃに有(あ)てーならん戦争因(いくさゆゐ)に可惜命(あたらぬち)、失(うしな)みそーちゃる人々(かたがた)ぬ魂(たましー)が穏々(などうなどうー)とぅなみしぇーる如(ぐとう)御祈(うにげー)っし、此りから未来(さちじゃち)ぬ世(ゆー)ねー   戦争ぬ無(ねー)らん弥勒世(みるくゆー)招(まに)ち、御万人(うまんちゅ)ぬ喜(ゆるく)びぬ満(みつ)ち溢(あ)んでぃぬなみしぇーし心底(しんていー)から念願(にんぐわん)っし、行(い)ちゅる所存(うむい)やいび-ん。

(訳・これまでの戦争による犠牲になった人々の魂が安らぎあらんことを祈り、これからの人類の未来には平和と喜びあらんことを祈り続けます)

 安倍晋三首相もあいさつの最後に「沖縄の地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りする」と述べている。味も素っ気もない通りいっぺんの首相の言葉に比べ、玉城知事の島ことばは、聞くものには、意味がわからなくても心の琴線にふれる不思議な響きを感じる。その感じるものが「沖縄のこころ」なのであろうか。

 ふと思った。沖縄問題を理解することは、沖縄のこころを知る、ということではないのか、と。沖縄戦で15万人もの県民が犠牲になったこと、普天間基地の代替という名で、県民の意思に反して辺野古の海を埋め立て、さらに規模の大きい基地の建設にかかっていることを知ることだけでは、沖縄問題を理解できたとはいえない。「琉球処分」という名で本土との同化を強いられ、先の太平洋戦争で捨て石にされ、戦後、日米のアジア太平洋戦略の要塞の島にされた沖縄。日本政府に翻弄され蹂躙され続けてきた沖縄のこころを、肌身でわかるとはいかないまでも、少なくとも学ぼうとする姿勢が、この国にいる者として求められているのではないだろうか。

 近年、沖縄を修学旅行先に選ぶ中学や高校が多くなった。だが私が5年前に沖縄を訪ねたとき、平和祈念公園でもひめゆり平和祈念資料館でも、ボランティア語り部の話を聞こうとせず、ガヤガヤと私語をする高校性が少なからずいたのに愕然とした。沖縄に生徒を連れていけば平和教育になる、というのは教師たちの自己満足にすぎないのではないか。スポンジのように感受性がゆたかな小学生くらいのうちに沖縄のことを教えるべきではないか、と思ったものだ。

島唄「てぃんさぐぬ花」

『月と珊瑚』では「沖縄のこころ」をどう表しているのだろう。

 主人公の珊瑚が初めて生理を経験したとき、ルリバーはいう。「新都心通りを、たまに大きな声で『島唄』を歩く人(のなかには)昔、十代のころアメリカのへいたいにおかされた(女性もいる)んよ。それも数人で。そのショックでああなったんやけど、『よくぞ、死なんでいてくれた』って、心の中で頭を下げている。沖縄に生まれた女は、生きぬかなきゃいけんのよ」

そしてルリバーは『てぃんさぐぬ花』をうたう。

 てぃんさぐぬ花や

 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ

 親(うや)ぬ ゆしぐとぅや

 肝(ちむ)に染(す)みり

「てぃんさぐぬ花は、ホウセンカのことでな、昔は爪を染めたさ! この花で。親のおしえも、そのように心に染めなさいって、ことやな」とルリバーは歌詞の意味を珊瑚に語る。

 新都心小学校のまわりは、米軍から返されたとき2600発もの不発弾が埋まっていたところ。そんな地理的なこともあって、学校では週に1回、「昔の沖縄のことばを歌できこう」の日がつくられている。「平和月間」に入った最初の「歌できこう」の日は『てぃんさぐぬ花』。

 東京から越してきた詩音は「沖縄の子どもにさえわかんない歌なんて、意味ないと思うけど」というと、教室はシーンとした。先生は「沖縄は琉球王国だったけど、明治政府ができると、日本国に統治されるようになって沖縄県になり、しまことばも禁止された。私たちの先祖が愛したことばをなくしたら、心までなくしてしまう気がする」と話す。

 男の子が「おまえ、歌え」というので、珊瑚はルリバーから聞いた歌詞の意味を話して、転校してきた泉さんの心にとどくように歌いだした。

 泉さんというのは本稿では一度だけ登場する東京から転校してきたルナのことだ。名前は「月」。ルナと読ませている。珊瑚は宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」の主人公、オスカルを思い浮かべてあこがれる。それはともかく、この作品のなかでは、詩音は「父親の転勤でしかたなく沖縄に来た女の子」、ルナは「東京の名門女子高を中退して沖縄に来た子」として描かれる。

 詩音が珊瑚にきく。「(沖縄は)子どものひんこんりつが三人にひとりなの。ひんこんりつが全国一なんて、はずかしくない?」。「三人に一人」の珊瑚は、ルリバーも必死にはたらいているし、私は貧しいけど、はずかしいとは思いたくない、と自分にいい聞かせる。

 すでに述べたように、作者の上條さんが10歳のころ、放浪暮らしをさせられた。しかし彼女はこどもなりに懸命に生きぬいた。この作品にも、貧しい子どもたちへの熱い思いがこめられている。貧しいからといってカネをぶちこんだらいいというものではない。経済的に貧しくとも、心は決して貧しくない――それが沖縄のこころ。上條さんは『月と珊瑚』でこう言い表そうとしたのだ。

 読書感想文を書くにあたって子どもたちは、作者の思いをどう受けとめるだろう。私には思いも及ばない発想をする子どもも大勢いるにちがいに。上手に書けようが書けまいが、『月と珊瑚』を読み、その感想文を書こうとすること自体、沖縄のこころに近づくことだと私は信じる。玉城知事がいう「沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝える」には、こうした地道な努力を積み重ねるしかないのだ。

井上脩身 (いのうえ おさみ)1944 年、大阪府生まれ。70 年、毎日新聞社入社、鳥取支局、奈良支局、大阪本社社会部。徳島支局長、文化事業部長を経て、財団法人毎日書道会関西支部長。2010年、同会退職。現 Lapiz 編集長

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