渡来人たちの宴「伽耶国」片山通夫

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スサノオが新羅に降り立ったと言われている時代、朝鮮半島には、高句麗、新羅、百済と並び、伽耶という小国家群も存在した。 『三国史記』『三国遺事』などの文献史料は、3世紀までは加羅諸国の神話・伝承を伝えるに過ぎないが、農耕生産の普及と支石墓を持った社会形態などの考古学資料からの推定により紀元前1世紀頃に部族集団が形成されたと推測されてきている。1世紀半ばに中国正史の『三国志』や『後漢書』で「其(倭国?)の北岸」または「倭の西北端の国」の『狗邪韓国』(慶尚南道金海市)とその北に位置する弁韓諸国と呼ばれる小国家群が出現している。後に狗邪韓国(金官国)となる地域は、弥生時代中期(前4、3世紀)以後になると従来の土器とは様式の全く異なる弥生式土器が急増し始めるが、これは後の狗邪韓国(金官国)に繋がる倭人が進出した結果と見られる。首露王により建国されたとされる「金官国」が統合の中心とする仮説が主張されている。4世紀初めに高句麗が勢力を拡張すると、馬韓は大部分が百済に統合されたが、弁韓の諸国は一体化することなく存続した。

鉄の生成 国立金海博物館で

伽耶と関係の深い任那諸国は6世紀になると百済や新羅の侵略を受け、西側諸国は百済へ倭から割譲或いは武力併合され、東側の諸国は新羅により滅ぼされていった。512年に4県を倭が百済へ割譲し、532年には南部の金官国が新羅に滅ぼされ、また562年には洛東江流域の任那諸国を新羅が滅ぼされるという激動の時代だった。(この項ウイキペディア)

いずれにしても、伽耶は鉄器文化が発達していた。筆者は「新羅に降り立ったスサノオが新羅からもしくは伽耶から出雲に鉄器文化を伝えた」と考えて見たが、そうはうまくはゆかなかった。伽耶文化を扱う国立金海博物館(釜山近郊)で聞いてみたら、鉄器文化はここから北九州に伝わったという話だった。まさかスサノオが・・・なんて話は出来なかったのが今となっては残念だ。

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