《渡来人たちの宴・外伝 その6》片山通夫

高麗(こま)寺跡
高麗寺跡は、奈良盆地から南山城地域を北上する古代の主要道に近い場所にある。高麗寺は木津川という古代の水陸の交通網の要衝だった。南面する伽藍(がらん)は木津川を正面にしており、往来する船や対岸からの視線を強く意識していたと推測される。高麗寺に関連する最も古い記録は『日本書紀』の欽明天皇31(570)年条に、高句麗から使節が来訪した際、後に高麗寺が創建される山城国相楽郡に館(むろつみ)を建設し、迎接したと記されています。この時点ですでに相楽郡には一定数の渡来人が居住していたのではないかと思われる。

周囲に点在する「上狛」「下狛」などの地名は、高句麗からの渡来氏族、狛氏に由来するものとされ、高麗寺は狛氏と関連して創建されたのではないだろうか。ここにもおそらく栄華を極めた渡来人が住んでいたのは間違いない。