《渡来人たちの宴・外伝 その12》片山通夫

天智天皇

大津京

白村江の戦いの惨敗から中大兄皇子は飛鳥にいることを潔しとせず、強引とも思える理由、つまり白村江の戦いの惨敗で唐・新羅連合軍が攻めてくると遷都を実行した。667年のことである。
実際の理由は筆者の妄想に基づくと次のとおりである。
大化の改新《大化年間(645年 – 650年)》以後、中央集権は未だ完成したとはいえず、統治権を奪われた豪族や曽我氏ゆかりのグループをまだ十分に掌握したとは言えなかった。大津は飛鳥の人々にとっては未知の地である。飛鳥の有力豪族との軋轢が大きな理由だと思われる。 また琵琶湖西岸には大友皇子が養育された大友郷があり6世紀後半頃から大陸や朝鮮半島から渡ってきた渡来人の子孫が多く住んでいたと言われるのが大津を選んだ理由だったのではないか。
ただ残念なことに大津京は5年後には天智天皇がこの世を去り、その後起こった壬申の乱により都は飛鳥に戻された。