《渡来人たちの宴・外伝 15》片山通夫

続 曽我氏一族

曽我氏の祖と言われる武内宿禰像が載った紙幣

曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした曽我氏一族はおよそ100年ヤマト朝廷で君臨したことは前回書いた。
それではその出自を少し説明したい。書かれた文献は古事記や日本書紀しかないが一応探してみた。武内宿禰(写真)という人物が神功皇后が三韓征伐そ行ったときに活躍した人物だ。日本書紀他の伝承では景行天皇14年に生誕し仁徳天皇55年に亡くなったと伝えられている。121年生きていたことになり全く信頼できない。その人物が曽我氏の始祖らしい…。 実際に歴史で名前が出てくるのは稲目からで、早くから渡来人と接触し彼らの持つ思想や技術などを取り入れて台頭したようだ。仏教伝来時もいち早く取り入れた。つまり先進文化に対する理解は早かった。
ヤマト朝廷の大王(おおきみ)に取り入り、曽我氏の娘を大王の妃として朝廷に送り込み子を大王になるとその外戚として権勢をほしいままにした。
曽我氏のホームグランドは6世紀後半には現在の奈良県高市郡近辺を勢力下においていたと推察される。なぜなら蘇我氏が政治の実権を掌握した時代以後、その地域に集中的に天皇の宮がおかれるようになった。

《渡来人たちの宴》は来月も続きます。