再び《渡来人たちの宴・外伝16》片山通夫

謎の武内宿禰

武内宿禰

まず曽我氏の始祖と思われる武内宿禰だが何しろ古事記や日本書紀が資料なので不確かこの上ない。日本書紀には景行天皇14年(304年)に生まれ仁徳天皇55年(424年)に没したと記載されている。まさか当時121年生存したことになっているわけだ。現在でも121年と言えば記録的な年齢なので考えられない。
となると、つまり日本書紀に書かれていることが嘘ということになるが、そうも考えたくない。
名前に注目してみる。武内は姓だとする。事実そうだろう。宿禰はひとりの個人の名前だと考えると無理が生じる。役職名もしくは尊称だと考えると、121年生きた武内宿禰は何人かの人間が継いだと考えても不思議はない。

謎多い武内宿禰は様々なエピソードを古事記や日本書紀に残している。何しろ121年もの間の話なのだ。なんでもアリの世界だった。

ということを踏まえると、いったい何が真実かは特定できない。渡来人説、宮家につながる、勇猛な人物などここで書きようがないのが武内宿禰だということである。