《渡来人たちの宴・外伝18》片山通夫

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蘇我 稲目(そがの いなめ)

蘇我 稲目

 

実際に曽我氏が台頭してきたのは稲目の時代だった。武烈8(506)に生まれ、欽明31(570)に没した。高麗 (こま) の子という。馬子の父。娘の堅塩媛 (きたしひめ) ,小姉君を欽明天皇の后妃として,用明,崇峻,推古の3天皇の外祖父となる。宣化天皇のとき,大臣 (おおおみ) となり,没するまでこの地位にあった。 ヤマトの畝傍山の北に居を構えていた蘇我氏は,勢力を伸ばしつつ曽我川に沿って南下。そして行きついたのが飛鳥の地であった。当時、飛鳥地方には朝鮮半島,特に東漢氏(やまとのあやし)という百済からの渡来人たちが多く住み着いていた。こうした渡来人たちを支配下に置くためにもこの地を本拠地とするのが都合よかった。
朝鮮半島の国と交流するために必要な語学,農具や武器の生産技術など渡来人たちの高度な知識や技術はこれからの国つくりには必ず必要なものだと考えていた。
ここには新たに半島からやってきた人たちも住み着き,最新の知識,技術や情報を得ることもできた。当時,渡来人たちは瀬戸内海経由で難波に着き,山を越えて大和へと入ってきた。大和への入り口でもあった飛鳥は大変重要な場所となっていった。新しい知識や技術をとりいれていくという先進的な考え方はなかなか受け入れられないものであったが,蘇我氏がいち早くそれを行い,世の中の動きを変革していった。

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