《渡来人たちの宴・外伝21》片山通夫

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仏教伝来

聖徳太子像

 

 

昨日に引き続いて蘇我馬子時代の話。538年に百済から仏教が我が国に伝わった。蘇我馬子が仏教を受け入れるか受け入れないかで物部守屋(もののべのもりや)と対立する。これにも諸説があり、継体天皇時代(在位:507~531)の522年という説がある。

法興寺(飛鳥寺)大仏

いずれにせよ渡来人からの影響を多々受けていて外国の文化にもおそらく理解があった曽我氏は仏教を日本に定着させたいと考えた。一方、対立する物部氏は外国の宗教を受け入れることに反対していた。587年 蘇我馬子が物部守屋と戦争になり、物部守屋を倒し蘇我馬子が朝廷で最大の権力者となった。必定、馬子は仏教を普及させるために、我が国で初めての仏教寺院、法興寺(ほうこうじ 飛鳥寺)を建て始めた。(596年完成)
その頃より馬子は聖徳太子とお互いにけん制しあいながら天皇中心の政治に協力してきた。そう聖徳太子は豪族を支配するため馬子を利用し、馬子は天皇を操るために太子利用した。しかし両者が生きているうちはなんとかバランスが取れていたが、太子が亡くなると馬子は独断専行し、朝廷をないがしろにし、権勢をほしいままにした。

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