《渡来人たちの宴・外伝22》片山通夫

馬子外伝
 大邸宅を建て池をしつらえ、その池に島を造ったといわれている馬子。この飛鳥時代の馬子に関した記述は古事記や日本書紀などから得られる。しかし注意しなければならないのは、これらの歴史書が編纂されたのは後年、藤原氏が権力を握ってから編纂されたことである。つまり乙巳の変で曽我氏を滅ぼしたあと、自らの正当性を担保するために編纂され、曽我氏を悪として扱われたという説もあるが、定かではない。さもありなんとも思える。

今ひとつ面白い推察がある。推古帝の時代、603年の冠位十二階制度や翌604年の十七条憲法の創設、遣隋使派遣(607年)など政治的、外交的に成果を上げたのは聖徳太子の功績と記した。これらはおそらく馬子が太子とともに行ったものと思われる。というのは太子一人で、まして飛ぶ鳥を落とさんばかりの馬子の存在を無視して行ったとするにはかなりの無理がある。

中には「馬子=聖徳太子説」という異説も存在するようだがこれも無理がある。