《渡来人たちの宴・外伝25》片山通夫

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入鹿暗殺

入鹿暗殺から大化の改新
絶大な権力を欲しいままに飛鳥の地で君臨していた曽我氏はついに滅んだ。その無念さが入鹿の首をして飛鳥寺まで飛ばしたのだと思われる。 ともあれ、豪族が君臨する時代は終わった。蘇我入鹿が厩戸王(聖徳太子)の子である山背大兄王を滅して権力集中をはかったが、中大兄皇子は、蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足の協力を得て、王族中心の中央集権をめざし、645年に蘇我蝦夷・入鹿いるかを滅した(乙巳の変)。

名分は朝廷による中央集権だったので、中大兄皇子が大王(天皇)の地位に就くことはなかった。入鹿の父・蘇我蝦夷は自害し、皇極天皇は退位し、孝徳天皇に変わった。中大兄皇子は皇太子となり実権を握った。

中大兄皇子や中臣(藤原)鎌足が中心となって、政治の実権を握っていた豪族の蘇我氏を滅亡させたクーデター「乙巳の変」から始まり、新政権がつくられ、孝徳天皇による改新の詔が発布された一連の政治改革のことを「大化の改新」と呼ぶ。元号が初めて「大化」と定められた。
「乙巳の変」が645年、改新の詔が発布されたのは646年。ここに飛鳥時代の豪族の支配は終わり天皇(朝廷)による中央集権制度の時代に移った行く。

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