百鬼夜行夜話 011「九尾の狐 04」片山通夫

神鏡

再び中国に話は戻る。武王より12代後の幽王の時代に王に献上された褒似(ほうじ)という絶世の美女がいた。彼女は一切笑うことがなかった。ある日非常時の召集を告げる烽火が誤ってあげられ、意味もなく集まってきた諸侯たちの滑稽な姿を見て褒似は笑顔を見せた。そのため幽王はくりかえし無意味に烽火をあげ諸侯を集めて褒口を笑わせたが諸侯たちの不満は募っていった。そして不満が募った一部の諸侯と幽王の元妻の申后の一族と北方の異民族、犬戒(けんじゅう)の連合軍が反乱を起こした。幽王は烽火をあげて召集をかけたがどうせいつもの嘘だろうと諸侯たちは集まらず結局幽王は処刑され、褒似は姿を消した。

 

玉藻前。楊洲周延画

時代は下って735(天平7)年、遣唐留学生として唐に渡っていた吉備真備が帰国する船の中に乗り組み、妖狐は若藻という美しい少女に化けて潜んでいた。日本に着いた妖狐は、人々を惑わしながら諸国を渡り歩きながら数百年を過ごし、堀川院の時代には女の捨て子に化けて、ある過失のために山科で謹慎中の北面の武士・坂部友行に拾われ、藻と名付けられて育てられた。藻は成長するに従って和歌の才能を発揮し、7歳になると宮中にあがり、やがて玉藻前として鳥羽帝の側女に取り立てられて寵愛された。玉藻前が側女に取り立てられてからというもの、鳥羽帝は度々原因不明の病に冒され続けた。陰陽博士の安倍泰親に占わせてみると、泰親の神鏡に十二単を着た白面金毛九尾の妖狐が現れた。その原因が玉藻前にあることを突き止められ、正体を見破られた妖狐は、東国の那須野が原へと逃げ去り、今度は那須野が原において数々の悪事を働いた。そこで下野の国那須郡の領主・那須八郎宗重は、朝廷に対してこのことを訴え、泰親から妖狐が恐れる神鏡を借り受けた。
(この項続く)