冬の夜の昔話《コロポックルという神様》片山通夫

+1

コロポックルとはアイヌ民族の間で伝えられてきた神様である。神様そのものはカムイと表現するらしい。コロポックルは何となくその音がかわいい。かわいいのは音だけではなさそうだ。北海道には人の背丈を超える蕗が生えるとか・・。その蕗の下にコロポックルは住む。しかし、その姿を見た人はいない。どうして蕗の下に住んでいる皓が分かったのかは謎だ。 “冬の夜の昔話《コロポックルという神様》片山通夫” の続きを読む

+1

冬の夜の昔話《カムイ誕生》片山通夫

0
写真はイメージ

昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように、立ち昇って空となった。そして後に残った濁ったものが、次第に固まって島(現北海道)となった。島は長い間に大きく固まって島となったのであるが、その内、モヤモヤとした氣が集まって一柱の神(カムイ)が生まれ出た。一方、炎の立つように高く昇ったという清く明るい空の氣からも一柱の神が生まれ、その神が五色の雲に乗って地上に降って来た。(ウイキペディアから)

日本神話の伊弉冉と伊弉諾の話とよく似た話だがアイヌ民族の天地開闢(てんちかいびゃく)と国造り神話である。アイヌの神も大勢おられるようだ。

0

連載コラム/日本の島できごと事典 その9《日本三大弁天》渡辺幸重

0
厳島神社

「日本三景」など日本人は有名なものを三つ並べるのが好きなようです。「日本三大弁天」もその一つで、いずれも島にあります。厳島(広島県)・竹生(ちくぶ)島(滋賀県)・江島(神奈川県)の3ヶ所と聞くと「なるほど」とうなずく人も多いのではないでしょうか。
弁天(弁才天/弁財天)さんはもともと仏教の守護神なので寺と神社がセットになって祀られています。大願寺・厳島神社、宝厳寺・竹生島神社、そして明治初年の神仏分離で与願寺から神社に変わった江島神社となります。弁天さんのルーツはヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、仏教に取り込まれて弁才天になりました。音楽神・福徳神・学芸神で、琵琶を手にした姿は神々しいというより“愛らしい・なまめかしい”という表現がぴったりです。毎年6月に竹生島神社で『三社弁才天祭』が行なわれます。三大弁天の御朱印を集める人もいます。
竹生島は「琵琶湖八景」のひとつ「深緑・竹生島の沈影」で知られ、「日本最古の弁才天」「弁才天の発祥地」ともいわれます。能の演目『竹生島』はあまりにも有名です。江島神社は「辺津宮」「中津宮」「奥津宮」の三社があり、奥津宮は海上に造られた桟道を進んだ先の洞窟「江の島岩屋」の中にあります。役(えん)の行者が開き、空海(弘法大師)や日蓮も参籠したそうです。江戸時代には江島詣の参拝客でにぎわいました。“安芸の宮島”ともいわれる厳島では神仏分離の際に仏教的な建築とみなされ、あやうく焼却されそうになりました。
日本三大弁天に、奈良県天川(てんかわ)村の天河大弁財天社と宮城県石巻市の金華山(きんかさん)黄金山(こがねやま)神社を加えて「日本五大弁天」といいます。金華山も島です。「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」という言い伝えがあるありがたい弁天さんです。

0

冬の夜の昔話《神隠し 02》片山通夫

0
佐脇嵩之『百怪図巻』より「ゆき女」

遠野物語などに出てくる話で不思議なのが神隠しと呼ばれる現象だ。前に書いたようにある場所である人が忽然と姿を消す。ある時は山へ出かけて帰ってこない場合もある。山なら遭難ということも考えられるが、便所へ入ってそのまま姿を消す場合もある。
原因はわからない。天狗や鬼、狐、妖怪、怨霊などのせいかもしれない。不思議なことに姿を消す期間はまちまちである。
そしてある時姿を消した便所から忽然と姿を現すこともある。

定かな理由はわからない。最もわからないから神が関与しているということなのかもしれない。この「神」とは、神奈備、神籬、磐座などに鎮座するアマテラスやスサノオなどだけでなく、八百万の神々をさす場合も、天狗や鬼、山の神や山姥、人ををたぶらかす狐など妖怪変化の場合もありそうだ。もしかすると冬には?

0

冬の夜の昔話《神隠し》片山通夫

0
神隠しイメージ

深い森などで忽然と人がいなくなる。理由はわからない。自分の意志で消える場合もある。これは蒸発ともいわれる。しかし決して自分の意志ではないが忽然と姿を消す場合がある。決して事件性はない。まあ、それこそが事件なのかもしれないが。そしてその姿を消した人が何年か何日かは決まっていないが、忽然と姿を現す。
こんな現象を人は神隠しというらしい。

 ウイキペディアによると次の通り。
 人間がある日忽然と消え失せる現象。神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く失踪することを、神の仕業としてとらえた概念。古来用いられていたが、現代でも突発的な失踪のことをこの名称で呼ぶことがある。
 

0