冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル 6》片山通夫

 

蝦夷錦を着たアイヌ

幕府が蝦夷地の運営に口出しした原因は「松前藩がコメが穫れない藩なのに結構栄えていた」からに他ならない。その原因はアイヌを通じた「山丹交易」だった。山丹人とは、黒竜江流域に住むウリチ族やニヴフ族などの北方少数民族のことで、彼らは中国本土を支配する清朝にいわゆる朝貢し、清からの賜品を樺太や蝦夷地のアイヌと交易した。アイヌは松前藩と交易し松前藩はこの交易で栄えた。
代表的な清朝の品に「蝦夷錦(写真:国立民族学博物館で)」がある。ただ松前藩の蝦夷地運営はかなり過酷だったようでアイヌは反抗したこともあるがその都度敗れてしまっていた。有名な戦いにシャクシャインの戦いがある。

*朝貢は、主に前近代の中国を中心とした貿易の形態。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が確かに君主であると認めて恩賜を与えるという形式を持って成立する。

*シャクシャインの戦い:1669年6月にアイヌ民族でシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた蜂起。アイヌの2部族の抗争・報復の最中に松前藩に対する武器貸与要請の使者に関する誤報から、松前藩への大規模な蜂起に発展した[1]。日本の元号で「寛文」年間に発生したことから、寛文蝦夷蜂起(かんぶんえぞほうき)とも呼ばれている。