冬の夜の昔話《樺太にわたったコロポックル 8》片山通夫

ニヴフ 民族

筆者は2000年前後からサハリンに通い詰めた。その間、様々な人と会い、聞いた。無論主目的の残留朝鮮人のことが主だったが、少数民族のことも折に触れ聞いた。しかしそこにはアイヌ民族の痕跡は筆者が知る限り残っていなかったことを書き加えておきたい。

ウイキペディアによると、「樺太アイヌ」または「サハリンアイヌ」の名前で知られているものの、実際には樺太全域に居住していたわけではなく、特に樺太南部に集中して居住していた。これは樺太アイヌの祖先が先住民(オホーツク文化人=ニヴフ)を押しのける形で北海道から樺太へ進出していった歴史が関係していると考えられる。13世紀から近代に至るまで、樺太では樺太アイヌ、ウィルタ(アイヌからの呼称はオロッコ)、ニヴフ(アイヌからの呼称はスメレンクル)の3民族が共存していた。
 現在、サハリンには「樺太アイヌ」はいないといわれている。大きな原因の一つが、ソ連の対日参戦時に北海道へ日本当局によって北海道へ移住させられたためである。それでもおよそ100人の樺太アイヌがサハリンに残っていたらしい。
 大部分の樺太アイヌがソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていたという。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識はほとんどない。
(この項続く)