シリーズ とりとめのない話《あの一言》中川眞須良

人はある程度以上の齢を経ると、なにかにつけ昔を思い出す機会が多くなるものだ。私もそうだが、とくに自分よりも年上の人との会話の一部(言葉)が、その時無意識のうち頭の隅にインプットされたのであろう、何かの折にふと思い出す機会が多い。相手との親交の深さ、長さとは直接関係していないことも少し興味深い。

あのときの「あの一言」と題してそのいくつかの記憶をたどると

氏名 星 子(姓)さん
1933年前後生まれ 男性 大阪市在住 コーヒー輸入販売会社経営 高校野球ファン 親交15年以上

あの一言 「やっぱり野村は、来なかった。」
2021年2月16日 大阪市浪速区の「南海ホークス メモリアルギャラリー」内に野村克也氏のコーナーが新設された、との報道がながれた。何故 今になって、、、? の疑問はともかく、すぐ思い出したのが星子さんのあの一言である。

週に一度は顔を合わしていた星子さん、日頃から口数の少ない静かな紳士だ。それは二十年ほど前のある日の再会時、少し興奮気味での最初の一言がこの言葉であった。

なんの事か全くわからず問返そうと思ったが珍しく機嫌が悪そうなので、だんまりを決め込むとすぐに口を開いた、 「あんた(私のこと)知ってるやろ! 杉浦 忠 の現役時代、ダイエーホークス初代監督,元南海ホークスのエース、堺の霞ヶ丘に住んでたん ・・・」(次第にテンションが上がってくる) 。
話は続く。「実は先日、杉浦さんのお葬式に参列してきたんやけど、鶴岡さんの時も来なかったし 今回もやっぱり来なかった・・・あの野村克也」。

元南海ホークスの監督 鶴岡一人 エース投手 杉浦忠 両氏のお葬式に野村克也氏が参列しなかった事が相当ショツクであったようだ。そしてこみ上げてくる怒りと虚しさのようなものを必死に堪えているように感じた。 なぜそこまで・・・?

そういえば更に以前、星子さんから大阪球場へ何度もホークスの試合観戦に行った話を聞かせてもらった時の選手の名も数人記憶している。

飯田のとくさん、岡本のいさみちゃん、まぼろし監督の蔭山、鉄砲肩のちゅうすけなどニコニコしながら・・・。しかし 今この時代を知る人はほとんどいない。

そしてこの日、私との別れ際 「今年でプロ野球ファン、やめ! これから高校野球一本でいきますわ。」

当時星子さん、南海ホークスファンの一人として チームそして選手への思い入れ、どのようなものであったのか、もっと詳しく聞いておけばよかった。