連載コラム・日本の島できごと事典 その15《気仙沼大島》渡辺幸重

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気仙沼津波石碑

 

マグニチュード9・最大震度7という超巨大地震「東北地方太平洋沖地震」が起きたのは2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分のことです。この地震によって大津波が発生、広く日本列島の太平洋岸を襲い、「東日本大震災」という未曾有の大惨事となりました。福島第一原発が津波による電源喪失で水素爆発を起こしたのもこのときです。

津波は海から寄せてくるので最初に被害を受けるのは島嶼です。宮城県の気仙沼大島には20mの大津波が襲い、細長い島の東西から押し寄せて中央部で衝突し、島は南北に分断されました。3隻のフェリーは運航不能になり、桟橋も大きな損害を受けました。気仙沼市街地で火災が発生した光景をテレビで見た人も多いでしょうが、燃えるがれきは島にも流れ着き、山火事を起こしました。海沿いで多くの家屋や船が流され、34人が犠牲になりました。被災後は飲料水にも苦労し、プールの水を濾過して飲んだそうです。定期船は使用不能になりましたが、夜間の急患などを運んできた臨時船「ひまわり」は外海に避難する“沖出し”をして損壊を免れたため、震災2日後から約8カ月間、住民らを無償で運びました。3日後にはアメリカ第7艦隊の兵士がいち早く上陸し、重機でガレキを排除するなど、いわゆる「ともだち作戦」を行いました。

大津波は島の南部の低地部分にも東西から押し寄せ、合流寸前までになりました。大島は3つに分断されそうだったのです。実は、島には「島三分断」という伝説があり、いつの時代か、津波によって島が南北に3地区がそれぞれ孤立したことがあったようです。島には地震・津波を伝える碑もあります。「大地しんそれつなみ」と書かれた碑には昭和三陸地震津波(1933年)と明治三陸地震津波(1896年)の被害が刻まれています。また、津波にまつわる民話『みちびき地蔵』も語り継がれています。

大島は「みどりの真珠」と呼ばれる島で、薄緑色の桜の花や椿で有名です。人口は震災前の3,249人から2015年の2,522人と減少し、高齢化も顕著ですが、2019年には本州と結ぶ全長356mの気仙沼大島大橋が開通し、復興が進んでいます。地震・津波などの災害は全国共通に起こりえます。私たちは過去の災害からの教訓を共有し、困ったときには親身になって助け合いたいものです。

 

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