昭和の引き出し《記憶と希望 京都国際高校》元民族新聞記者 鄭容順

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創部5年目に1番くじを引いた李良剛君、民団新聞2003年6月30日付の記事から

1月29日の夕方、ラジオから今春の高校野球の選抜大会に、京都府の学校法人・京都国際中学高等学校の京都国際高校が出場すると放送された。この放送に私は夫に「出た、出た」と叫んでいた。夫は「何が出た」という。それほど私の心は浮足立ち、こみあげてくるものがあった。

京都国際高校の前身は京都韓国学校である。京都市左京区北白川に中学校を開校したのが1947年、日本の敗戦後、日本に残った在日韓国・朝鮮人は、以後在日としていく。1世の故郷に帰国するために母国語の習得が必要として学校が建てられた。それから旧校舎から現在の校舎(京都市東山区)に移転をするとき、地元の反対運動に関係者は苦労されたが、1984年に現校舎に移転した。

野球部の創部は1999年である。生徒数の減少に、学校関係者が苦肉の策として野球部を創部することになった。創部までの高校野球連盟の加盟など問題はたくさんあったが、多くの支援者で創部できた。創部で入ってきた野球部員は在日の生徒や韓国からの留学生で野球に関係していた生徒は2人、後は遊びや草野球で野球をした程度の素人だった。それでも学校関係者は強いチームになることを願い支援をした。創部時、私は民団新聞の関西担当記者をしていた。最初の夏の京都府地方大会の時、私は西京極競技場の現場にいた。初めて入った競技場、規制を知らなくてグランドに入ってものすごく怒られた。それから重い望遠レンズを持って競技場に入るようになった。

創部5年目にして夏の大会の抽選会場で1番くじを引いたのは、李良剛(イ・ヤンガン)君。この会場に私もいた。この時もいい写真を撮ろうと前に行き撮影する私、日本の報道関係記者に怒られていた。1番くじを引いた李良剛君、京都府地方大会で韓国語と日本語の宣誓をした。韓国語は「オル(魂)、カンサ(感謝)、カンド(感動)」を盛り込んだ。宣誓の後、会場から大きい拍手で湧いていた。

京都韓国学校-一条校認可-2003年12月24日

京都韓国学校は2003年に、日本文部科学省の一条高校認定の申請をしていた。広い運動場でも規定に達していないので、知人の運動場を借りた。理科の実験用具もきちんと揃えないといけない。学校関係者は大変なご苦労をされた。2004年の秋、日本文部科学省からの一条校認可が下りた。京都府庁での認可の授与式、歴史的な現場に取材でき今も印象に残っている。日本のカリキュラムで授業していた各種学校の京都韓国学校は、京都国際高校に改称され、日本の学校のカリキュラム、さらに韓国語、韓国文化などの授業で生徒たちの授業数が多くなった。

原点は韓国学校、校歌も卒業式歌も韓国語である。創部から22年経過。プロ野球にドラフトされた生徒は5人、今や京都国際高校の野球部の選手40人は日本人である。野球部の選手たちは学生寮生活、賄の野菜作りをしているのは民団京都本部の人たちである。新鮮な野菜は学校近くの畑で栽培をしている。
 2008年にドラフトで広島のカープに入団した生徒(韓国からの留学生)の時、私は京都国際学校の現場にいた。ドラフト4位になった喜びの取材をしていた。このとき選手たちの指導に来ていた小牧憲継さんは、現在の監督である。
ドラフトの喜びのときも学校におられたのに記憶にない。当時の在日の監督ばかりに取材をしていたのだろう。野球部は小牧監督とも縁がある。京都韓国高校が野球部を創部して最初の夏の大会の対戦相手が京都成章高校、その時の二塁手(訂正・原文→投手)が小牧監督だった。大学に進んで卒業後、京都国際高校、野球部の監督になった。試合もいい試合をするようになっていた京都国際高校、65歳になっていた私、もう現場取材もきつくなって仕事を引退したいと考え悩んでいた。仕事のやる気が失せていた。小牧監督とどこかで言葉を交わしたかもしれないが記憶にない。もっと言葉を交わしておればよかったと反省している。

創部にあたって高校時代、野球部で活躍した同校の役員が代表になって今も支援をしている。1番くじを引いた李良剛さんは、同志社大学に進み、2年の時に1年休学して、韓国の国立国際教育院で韓国語を学び、大学に復学をして卒業、今は東京で会社員をしている。
何もないところから地道に積み上げてきた野球部、選手や監督、関係者の汗と血、涙と喜び、努力の賜物、そして学校関係者の並々ならぬ支援の賜物で粘りである。

甲子園では1勝はしてほしい。韓国語の校歌を聞きたいものだ。2月23日に対戦相手が決定した。対戦相手は宮城県の柴田高校、初出場、両校とも初出場、負けられないという固いものがあるだろう。甲子園で京都国際高校の校歌が流れることを切に願っている。

写真は創部5年目に1番くじを引いた李良剛君、民団新聞2003年6月30日付けの記事から。2004年12月24日、日本文部科学省の一条校認定の授与式、―、民団新聞から。両記事は現職時に私が作成したしたもの。

京都国際 1947年(昭22)に京都朝鮮中として開設された私立校。58年に学校法人京都韓国学園に。63年には高等部が開校された。04年に日本の学校教育法第1条の認可を受ける。日韓両国から中高一貫校として認められ、京都国際中学高等学校となる。普通科のみで、全校生徒132人(うち女子62人)。野球部は99年4月に創部。部員40人。甲子園は今回が初めて。OBに広島曽根海成内野手、日本ハム上野響平内野手ら。所在地は京都市東山区今熊野本多山町1

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