連載コラム・日本の島できごと事典 その18《通気口の島》渡辺幸重

三池炭鉱模式断面図B

盆踊りでおなじみ、「♪月が出た出た」の炭鉱節は九州・三池炭鉱の歌です。父親が宴会でいつも歌っていました。私は子どもの頃に「男は炭鉱に、女は紡績に働きに行ってどっちも肺を病んで帰ってくる」と聞いた記憶があり、炭鉱にはどんよりと暗く重いイメージしかありません。映画や本や爆発事故のニュースでも悲惨さだけが伝わりました。大人になって筑豊の炭鉱住宅に泊まったときに、目の前に巨大なぼた山が迫り、その迫力に圧倒され、炭鉱が国家の大きな力によって動かされていたことを知りました。三池炭鉱は明治初期から124年続き、はじめ官営ついで三井の経営に移りました。宮浦坑・勝立坑・宮原坑・万田坑などが開かれ、我が国を代表する炭鉱です。三池や長崎の炭鉱では陸地を掘り進み、やがて海底へと延びました。炭鉱は人が掘りますから新鮮な空気がないと人は死んでしまいます。島があるところでは入気・排気のために通気のための立て坑を掘りましたが、三池には島がないので人工島をつくりました。
まずつくられたのが三池港の北方約4.5kmに浮かぶ初島(写真)です。1951年(昭和26年)に島が完成し、3年後に初島立坑で坑道とつながりました。国内初の人工島で、当時は「昭和の国づくり」といわれたそうです。水深約4mの軟弱な基盤の上に金網を敷き、捨て石を積み重ねながら石垣を造り上げるという前例のない工事が行われました。続いて第二人工島が三池港南側にできますが、現在は埋立地の一部となり、かつての面影はありません。第三人工島が三池港の北西約6.5kmに浮かぶ三池島で1970年に築造されましたが、このときも他に類例をみない工法を採り、水深約10mの軟弱な基盤から海底のヘドロを浚渫し、代わりに砂を敷きながら基礎を造り、造船所で作った鋼鉄製枠組みを据え付け、周囲に鋼矢板を取り付けるという方法で島をつくりました。通気口入り口には大型扇風機が取り付けられ、三池島立坑は入気用、初島立坑は排気用として使われました。
三池炭鉱は1997年に閉山し、2015年にはユネスコの世界文化遺産(「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」)の構成資産に登録されました。いまでは三池島は海鳥の貴重な繁殖地となっており、準絶滅危惧種のベニアジサシ繁殖北限地として知られています。