私は以前大相撲はスポーツではなく、アートであると言って周りの顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがある。その時はTPOをわきまえなかったこともあリ反省を装ったが、その心の奥は今も何ら変わっていない。
最近の大相撲のテレビ中継を見ていると勝敗だけにこだわった、格闘技スポーツへと色濃く変化しつつある現状にため息を漏らすのは、私だけであろうか。
財団法人 日本相撲協会 それは品位 威厳 過去の実績ある理事長を核としてそれを取り巻く親方、理事、行司、呼び出しそして床屋に至るまで大きな協会と言うアートを構成する一要因として大小の違いこそあれ、それぞれの立場が燦然と輝いていたように想う。言うならばこの集団は、各一人一人の持つ独特の芸術性をおびたオーラの集合体でなければならない。
アートの中心 それはもちろん土俵上である。
時代は少しさかのぼり1960年代、今なお記憶に残るその独特のオーラを発していた場面のいくつかを紹介すれば・・・。
1・力士について(取り口、仕草からそれぞれの異名を持つ)
Ⅰ、いぶし銀の 清水川 (清水川明於) 1925年生
⇒何故、何処がいぶし銀なのか、しばらく解らず
Ⅰ、吊りの 明歩谷
⇒両まわしを取れば勝ちはこれしかない 筋肉隆々の長身
|、仕切美人の 鳴門海
⇒これほど独特の仕草で力が入った仕切 他に知らない
|、けたぐりの恐怖 出羽湊
⇒滅多に飛び出さないが決まれば見事 相手はいつも警戒
|、潜航艇 岩風
⇒立会後ずっと潜りっぱなし、頭が上がればすぐに負け
|、巻き変えの 鶴ヶ峰
⇒最初は左ざし、途中瞬時のもろざしからの寄り 当時金星最多
|、褐色の弾丸 房錦
⇒おもいきり当たり一直線の押し 四つ相撲で勝った記憶なし
|、突っ張りの 大内山
⇒猛突っ張り時の形相はまるでゴジラ 長身で出っ張り額ととんがり顎の大関
|、内掛けの 琴ケ浜
⇒土俵中央でのがっぷり四つ時、観衆から「うーちがけ!」の声援、これが決まったときまさしく アート
|、ぶちかましの 松登
⇒ 勝った翌日の新聞記事 「信夫山(両差しの名人)」が吹っ飛ぶ!
2・力士以外について
|、立行司 式守伊之助 (第19代 ヒゲの伊之助)
⇒自分の軍配に物言い 審議中の審判に近づき一言二言(状況説明?)、すぐに 諭され渋い顔 しかし場内からは大きな拍手、そして軍配どうりの結果なら さらなる拍手の嵐。(この時伊之助一瞬 ニンマリ)
|、立て呼び出し 小鉄
⇒土俵に上がり出すと場内は静寂へ、後ろ腰に収めた扇子 右手首だけで パッと広げ東西の力士を呼び出す。この間観客はもちろんテレビ、ラジ オのアナウンサー 解説者まで無言で場内の隅々まで響き渡る美声 に酔いしれる。(アナウンサーは両力士の紹介、必要なし。)
|、弓取式
⇒力士は結び勝者側のニ字口で、行司から弓を受け取り終了後同じ場所の土 俵上に弓を置いたまま会釈して土俵を降りる。この瞬間が打ち出し であ り木が入り審判も席を立つ、土俵に一礼後退席。
(今は少し様変わりしているようだ。)
|、時計係審判
⇒うわ向きに握られた両手を各膝の上に乗せ取り組み中もそれ以外のときも 、土俵上をじっと見つめたまま微動だにしない。左手のなかには時計、右手は制限時間を知らすときのみ腕を少し上にあげ、手のひらを素早く2回開け閉め、行司 それを横目で見てゆっくり頷く。これ阿吽の呼吸? (この審判の名 残念ながら記憶にない)
注視すれば現在でも多数の事柄が脈々と受け継がれているのであろうが、今日のテレビ ラジオの中継を見聞きするだけでは気づくことはむずかしいかも・・・。
特に場所中、メディアはつねに何か一つの事柄(話題)を取り上げ、テレビカメラを向け解説、過去の映像、データ等でそれらを紹介し、この大相撲と言う、アートの世界をファンと共にさらに広く 深く創造していかねばなるまい。
最後に 私がアートの構成要因の一つであろうと思うもう一度見てみたい場面がある。それは「(制限)時間前の立ち会い」である。これこそ見るべきところ、感じるところが多い場面なのだが両者共に 腰を低く下ろし両手をしっかり土俵上に置いて仕切る力士が少なくなった昨今は 叶わぬ夢なのだろうか。
3、相撲ファンについて
⇒ファン、この存在は相撲界スポーツ界のみならずすべてのエンターテイメントの世界を根底から支える、基礎 基本そのものである。この数多いファンから当時のユニークな一人を紹介すれば (1960~1965年)
1、 氏名 中司 えん (女性)明治40年生まれ 大阪府堺市在住 駄菓子屋店主 第35代 横綱 双葉山(1945年引退 1957年から理事長時津風) の大ファン。「引退後15年以上過ぎてから、すきな双葉山の紋付き羽織袴姿の正装での肉 声と実際の顔(仕草、表情)を見聞きすることができるのは大阪場所だけ!」 と、彼女は毎春場所千秋楽のみ、それも優勝力士の表彰式を観る為だけに通 い続けることを楽しみにしていた。
ファンの心、それは広く 深い。