書籍紹介《「消えたヤマと在日コリアン」を読んで》片山通夫

「消えたヤマと在日コリアン」 ー丹波篠山から考えるー

細身和之 松原薫 川西なを恵 著 岩波ブックレット No.1046  定価(本体620円+税)

まず筆者の簡単な経験を述べたい。それがこの書を筆者が読む「読み方」の説明になると思うからである。1999年秋に初めてサハリンへ行った。「その島にとり残された」朝鮮人が多数いると聞いたからだった。筆者がいわゆる「朝鮮人問題」を知り取材を始めたのはサハリン残留朝鮮人が最初だった。
私たちは今なお、いやここ数年ますますヘイト問題に直面する。原因等は様々いわれているが、本旨とは違うのでここでは書かない。しかし本書からはその遠因を知ることができると思うので、本書をそんな角度からも読まれることを強くお勧めしたい。

 

 

 さて、こう書いては誠に失礼だが丹波地方はかなりの田舎である。歌にも「丹波篠山、山家のサルが・・・」とうたわれているほどだ。そんな「ヤマの町」に在日コリアンがいた。本書によると丹波地方は戦前には珪石やマンガンを産出したという。珪石は耐火煉瓦の材料に用いられる。その煉瓦でコークスを焼いたた。コークスは蒸気機関車や鉄鋼業などを中心に、近現代においても交通機関や重厚長大産業に重要な燃料となっている。つまり戦争のせいで海外から石油など諸燃料を輸入できなくなった日本は戦争遂行にあたり、石炭産業を奨励せざるを得なかった。そして高温で石炭を焼く炉の製造には珪石は欠かせない鉱石だった。
そんな珪石が丹波地方でも産した。鉱山の仕事は炭坑などと同様過酷だったことは間違いない。過酷な労働は基本的に女性よりも男性の仕事となる。しかし戦争は若い日本人労働力は兵士として戦地へ送る必要がある。国は当時植民地だった朝鮮半島から労働力を補給した。端的には国家総動員法(1938年施行)に基づくものだった。樺太を含む各地にあった炭坑や鉱山が彼らの任地だった。本書では言葉でこそ優しい表現だが、実際には言葉も十分伝わらない朝鮮人相手の労働となれば、相当過酷だったと想像する。
一例をあげる。「記号としての鮮人」という記載が本書17頁にある。朝鮮人を人間個人として扱わなかったことが想像できよう。一方で「内鮮一体」などと美辞麗句で飾ったが本来の目的のカモフラージュでしかなかった。「鮮人」もしくは「半島人」という呼称がそれを物語っている。

そして本書が明らかにしているように、篠山地域に多くいたはずの朝鮮人労働者に関する公の記録はない。これは隣の地区である。マンガン鉱のあった京都・旧京北町でも同様だった。ここでも「記号としての鮮人」でしかなかったのだ。この点を明らかにした本書の著者諸氏の努力と勇気に敬意を払いたいし、同時に本書を通じて、日本各地に点在する朝鮮人労働者の足跡を知る機会としたい。我々読者はその価値を本書に見ることができる。