《Vol. 39 巻頭言》 Lapiz 編集長 井上脩身

冒頭から個人的なことで恐縮ですが、私はいま、源頼光(948~1021年)の「大江山の鬼退治」のことを調べています。渡辺綱ら頼光四天王を引き連れ、大江山で鬼を退治したという説話は、やさしい読み物として子どもたちに読みつがれてきました。山奥から都にでてきて、若い女性をさらうなどの悪事をはたらく鬼どもをやっつける武者たち。剣をふるっての縦横無尽の活躍に、子どものころの私は胸を躍らせました。

調べてみると、頼光の時代、京の都では疱瘡が大流行し、貴族150人中70人が死亡、道ばたには庶民の死体が転がっていたと伝えられています。種痘で防ぐことを知らなかった時代の人たちは、見えざる恐ろしい魔物を鬼のせいにするしかなかったのです。
人類の歴史は感染症の歴史といっても過言ではありません。
紀元前430年ごろ、古代ギリシャで疫病が流行しました。疫病はエチオピア(現在のスーダン)で発生、エジプトやトルコに広がってギリシャに上陸、首都アテネで感染爆発に至りました。トゥキディデスという歴史家は、患者に近づけばたちまち感染し、家畜が倒れるように人々が死んでいったと記録しています。アテネの政治のリーダーだった将軍ペリクレスも感染して死亡したくらいですから、もはや打つ手なしの状態だったのでしょう。
もちろん、この疫病の原因は当時の人にはわかりません。人々は「神が敵国の味方になり、アテネを罰するとの予言があった」というデマを信じます。そして、明日死ぬかもわからないという恐怖から、「今だけを楽しもう」との快楽主義、刹那主義にはしるようになったといわれています。
時代はこれより300年前になりますが、ホメロスが著わした叙事詩『イリアス』の冒頭、馬や犬までが次々に疫病に倒れる様子がえがかれ、怒れる神アポロンによって疫病が蔓延したと記されているそうです。紀元前430年の疫病流行に近い蔓延だったのではないかと推察されます。
『イリアス』は紀元前750年ごろ成立しました。古代オリンピックの第1回大会は紀元前776年といわれています。古代オリンピックと疫病の流行は全く無縁とはいえないのではないでしょうか。怒れる神(もしくは敵に味方する神)に恐れおののき快楽主義にはしる民人たちを鎮めるため、もしくは疫病の恐怖を忘れさせるための方策として、オリンピックが考え出されたのかもしれません。

近代オリンピックも感染症と決して無縁ではありません。1920年のアントワープ大会は、1918年にはじまったスペイン風邪によるパンデミックの終期にあたっていました。スペイン風邪による死者は世界で5000万~1億人ともいわれ、日本でも人々は恐怖に陥りました。ウイルスが原因とはわからなかった時代ですから、ワクチンがあるはずもありません。庶民は厄除けの札を家にはるしかなく、神戸・須磨の厄除八幡宮には参拝する人がひきもきらず、護符が飛ぶように売れたそうです。
アントワープオリンピックは、衛生面での対策が十分ではなく、空席が目立ちました。そんななか、テニスの男子シングルスで熊谷一弥選手が2位になりました。我が国初のメダルです。日本人は一時的にでもスペイン風邪への恐怖を忘れることができたかもしれません。

こうした歴史を経て、東京オリンピックが7月23日、開幕しました。その前日、東京の新規感染者は1979人と2000人に迫りました。新型コロナウイルスのデルタ株による急激な蔓延は誰の目にも明らかでしたが、政府は開催に突っ走ったのでした。アントワープ大会は空席が目立ったといいましたが、東京大会は無観客にせざるを得なくなりました。そして8月8日閉幕。その前日の東京の新規感染者は4566人。オリンピック期間中、感染者は2・3倍増え、入院患者が激増しました。
日本のメダル獲得数は金27、銀14、銅17の計58個。史上最多となりました。オリンピックに政権の浮上を賭けた菅義偉首相は「感染対策についての国民の不満をそらすことができた」とほくそえんだことでしょう。そのもくろみ通りになるかどうか。65歳以上の高齢者へのワクチン2回接種が75%に達しているにもかかわらず、感染の収束は見えてきません。

話を大江山の鬼退治に戻します。すでに触れたように、疱瘡の恐怖の真っただ中の都の人たちは、大江山の鬼のしわざだと考えました。では、現在の新型コロナウイルス感染爆発のなか、鬼はいったい何者なのでしょう。いろいろと思案をめぐらして、思いが到りました。鬼はオリンピックなのだ、と。鬼ンピックというべきなのです。商業主義に毒された鬼ンピックです。
「鬼神」という言葉があります。鬼が神になることもあります。オリンピックは聖火という神の火のもとでの祭典と信じる人も少なくありません。邪か神か。オリンピックそのものを問い直すべきときがきているように思われます。
オリンピック強行実施主義者である菅首相が、会期中の7月26日、めずらしく全うな判断をしました。広島に落とされた原爆の被爆範囲にかかわる「黒い雨」訴訟にからんで、従来の被爆者援護区域外の被爆者に対しも被爆者健康手帳を交付すると発表したのです。遅きに失した決断ですが、この政治判断を私は是とします。しかし忘れられていることがあります。広島に原爆が落とされた日、B29による空襲に遭った被害者やその遺族には何の補償も援助もなされていないのです。余りにも不公平ではないでしょうか。
本号では、「編集長が行く」シリーズのなかで、見放された空襲被災者を取り上げました。