びえんと《夫婦別姓拒否論にみる戦前回帰主義》Lapiz編集長 井上脩身

びえんと①合憲 最高裁の合憲判断に抗議の声をあげる申立人(ウィキベテアより)

選択的夫婦別姓の制度化を求める声が高まるなか、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は6月23日、別姓を認めない民法の規定を合憲とする決定をした。この3カ月余り前、「同性同士の法律婚を認めないのは違憲」とした札幌地裁の画期歴な判断との余りのギャップに私は愕然とした。札幌地裁は憲法が規定する「法の下の平等」を直視したのに対し、最高裁は我が国に今なお根強い「男性優位の婚姻」という現状を重視したのである。憲法が公布されて75年になる今、法の番人である最高裁が憲法を軽んじる判断をしたという事実を深刻に受け止めねばならない。それは戦前の明治憲法体制への回帰を、最高裁が黙認したことになるからである。

判断放棄の最高裁

 民法は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と定めている。この規定について2015年、最高裁は「家族の呼称を一つに定めるのは合理的。女性側が不利益を受けることが多いとしても、通称使用の広がりで緩和される」として、合憲判決をくだしている。今回の大法廷の決定では、「15年判決に照らせば、民法の規定が憲法に違反しないことは明らか」と判示。このうえで、「夫婦の姓についての制度を立法で議論することと、憲法に反するかを裁判で審査することは次元が異なる」と指摘、「制度のあり方は国会で論ぜられ、判断されるべき事項に他ならない」とした。

 この最高裁決定について、「夫婦別姓 国会に議論を促す」(6月24日付毎日新聞)などとマスコミは報じた。だが、国会に選択的夫婦別姓制度を議論するよう促した15年判決後5年以上経過したにもかかわらず、国会で正面から議論されたとはいいがたい。そもそも法相の諮問機関である法制審議会が1996年、婚姻の際に夫婦同姓か別姓かを選べる制度の導入を答申しているのである。日本以外に夫婦同姓を義務づけている国はなく、国連の機関も繰り返し是正を勧告している。しかし自民党内に反対が強いことから、自民党政権はこの問題を本気で取り上げる気はないようである。最高裁大法廷も、国会が本気にならないことはわかっているであろう。にもかかわらず国会に投げかけた形にし、事実上、自ら判断することを放棄したのである。

あいまいな家の概念

 政府、自民党はなぜ夫婦別姓の制度化を拒否するのであろうか。選択的夫婦別姓に否定的な自民党有志の議連「『絆』を紡ぐ会」の共同代表である山谷えり子・元拉致問題担当相は「子供が生まれたときに、子はどちらの姓にするのか、争いが起きる懸念があり、お互いの実家が張り合うリスクも高まる。夫婦の名字が違うので、墓参りなどいろいろな問題が出るかもしれない」(2020年12月11日付毎日新聞)という。

記事は山谷氏のほか、稲田朋美元防衛相、野田聖子元総務相を登場させ、自民党幹部女性の意見の違いを浮き彫りにしようという企画であった。稲田氏は結婚して戸籍謄本上同性になったうえで、3カ月以内に届ければ旧制を使い続けられる「婚前氏続称制度」の新設を提案。野田氏は「選択的夫婦別姓は夫婦が同じ戸籍という『家』を堅持し、その中の1人の名字を変えるだけ」として、夫婦別姓制度導入に賛同。3氏の主張は異なるが、共通しているのは戸籍という家制度は守るという点である。その家について、山谷氏は庶民レベルで語ったのである。私は、山谷氏の言葉のなかに、この問題の本質が潜んでいると思った。

 山谷氏はお墓参りを例にあげた。葬式のさい、葬儀場では〇〇家告別式と案内表示される。亡くなったのは個人であるのに、だれもこの表示に疑問の声をあげない。結婚式もそうである。〇〇家と〇〇家の結婚式である。結婚式場では〇〇家の控え室などと記載される。披露宴のスピーチでも「ご両家のみなさまのお喜びもいかほどかと」などと、家を強調する言葉が飛び出る。これにもだれも疑問に思わない。

 かくいう私も身内の結婚や葬儀で疑問を呈さなかった一人である。「山登りのため朝早く家を出た」「我が家ではみんなでラジオ体操をする」「家の周りを掃除する」「家の住所が変わる」――居所としての家や建物としての家、住民票の上の家、家族を表す家。ほとんどの人は家という言葉をいっしょくたに使っている。それも無意識である。つまり概念があいまいなまま、家というものが心の中や脳裏にしみこんでいるのだ。

 その無意識には、家族はみんな同じ性であるという前提がある。

 では、姓が異なる者がいれば家族は成り立たないのか。実は私の実兄は姓が違った。

 母の兄、つまり私の伯父には子供がいなかった。一方、私の一家は4人の子供がいて、うち3人が男だった。伯父の、3人も男の子がいるのだから1人を養子にほしい、との要望を父がみとめ、次兄を養子に出すことになった。という次第で次兄は伯父の内藤姓をなのらされたが、引き続き私たちの家族の一員として、同じ住宅内でいっしょに暮らした。

 私はこの兄が好きだった。機械いじりが好きで、魚釣りや昆虫採集などに連れていってくれた。甲子園の高校野球や枚方の菊人形、天神さまのお祭りに連れて行ってくれたのも、この兄だった。姓が異なることを意識したことはなかった。

兄の友だちが訪ねてくることがある。「内藤君いますか」。その声に、(お兄ちゃんは内藤だ)とおもう。でも兄の友だちの誰ひとり、姓が異なるからといって差別することはなかった。

夫婦の姓が異なるとどうなるか。「家族の絆が壊れる」という声がある。親子、兄弟姉妹が姓で呼ぶことはない。家族間の愛情は姓が同じかどうかとは全く無関係なのである。家に縛られ、愛し合ってもいないのにじっと耐えて、いっしょにいなければならないことの方がはるかに問題であろう。

天皇中心国家の夫婦同姓

すでにふれたように、しらずしらずのうちに家という概念が多くの日本人にしみこんでいることは否定できない。それはどこからきているのだろうか。調べてみると、中村吉三郎・元早稲田大学教授の「日本の近代化をいかにとらえるかに当っての『天皇制』と『家』制度――近代化と『天皇』制――」という論文に行き当たった。ひとことでいうと「忠孝一本」という精神が家制度の根底をなしている、というのである。

 同論文によると、「明治政府は万世一系の天皇のもと、すべての国民は共通の祖先をもつ一つの血族家族で構成されるという虚構をつくりあげ、国民各自をそれぞれの家につなぎ、ことごとく天皇のもとで統べられることによって、天皇を中核とする国家をつくった」という。

 具体的にどうつくられたのか。さらに調べると、1872(明治5)年、司法省が作成した民法草案である「皇国民法仮規則」に、「凡姓は歴世更改すべからず」と姓不変の原則を規定。1877(明治10)年の「民法草案人事編」の第188条には「婦は其夫の姓を用ふ可し」と定めた。ここに夫婦同姓の基本原則がうたわれたのである。さらに1888(明治21)年の旧民法人事編草案では、第243条で「戸主とは一家の長を謂い、家族とは戸主の配偶者及ひ其家に在る親族、姻族を謂う」「戸主及ひ家族は其家の氏を称す」と定めた。これによって戸主を中心とする家において、同一の姓であることを義務づけたのだ。

 こうしたプロセスを経て1898(明治31)年に施行された民法に夫婦同姓が規定された。この歴史的経過をみれば、天皇中心国家であることを宣言した明治憲法と同じ精神理念によって、民法のなかに夫婦の在りようが規定されたことは明らかであろう。

 戦後、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた明治憲法は否定され、現行憲法で国民主権主義がうたわれ、個人が尊重されることになった。本来ならば、これにともない民法も男女平等(憲法第14条)に合わせて改正されねばならなかった。

民法は女性に改姓を求めているわけではない。したがって明文上では男女平等にみえる。しかし、婚姻にさいし96%の女性が男性の姓に変えている現実をみれば、この規定が事実上、女性差別を容認しているといえるだろう。女性が男性の姓に変えることは、それが世のならいに従うということだけにとどまらない。すでに述べたように、姓の同一義務は女性が男性の戸長にかしずく家父長制度とセットになっており、したがって妻が夫に従うことを前提としている。民法を改正しなかったため、戦前の家観が生き残ったのである。

 朝日新聞が20年1月に行った世論調査では、選択的夫婦別姓について69%が賛成、反対は24%だった。こうした民意にもかかわらず、自民党政権がその導入に及び腰なのは、ひとえに保守団体「日本会議」が「日本の伝統や文化、家族制度を守るべき」と主張しているからにほかならない。天皇・皇室崇拝を根本精神とする日本会議にとって、家族は姓が同一でなければならないのである。

 安倍晋三前首相は憲法改変に政治生命をかけた。その意思は菅義偉首相に引き継がれている。憲法改変は9条に自衛隊項目を入れるというだけの問題ではない。国のあり方として国家主義なのか個人尊重主義なのかの選択の問題なのである。夫婦別姓を認めることは、日本は個人を尊重する国であるとを宣言することと私は考える。最高裁大法廷の判決は、国民主権に背を向ける判断であった。この国はいったいどこに進もうとしているのか。私は身震いする。

びえんと:スペイン語で「風」を意味する。