秋の夜長に聞く話《鳥居(とりい)の謎 004》片山通夫

まだまだ秋の夜に聞く話は続きますが、ひとまずここでお休みをいただきます。

秋の夜長に聞く話《鳥居(とりい)の謎 003》片山通夫

筆者は時折真面目な旅をする。一度はインドの山奥に某氏に案内してもらったことがあった。四輪駆動車で道なき道、橋無き川を渡り二日がかりで小さな村に着いた。
その村の女性は「胸を隠さない」ことで有名だとか‥‥。写真を撮ってきた。その村の入口に怪しげなモノが立っていたので同じく紹介したい。悪霊が村に入るのを防ぐ守り神だとか…。
そう、まるで鳥居のような。

 

連載コラム・日本の島できごと事典 その41《咸臨丸》渡辺幸重

咸臨丸難航図 鈴藤勇次郎原画/【所蔵】木村家蔵・横浜開港資料館

咸臨丸(かんりんまる)はオランダで建造され、1857年(安政4年)に進水した江戸幕府の軍艦です。1860年(万延元年)に日米修好条約の批准書交換のため幕府使節がアメリカに派遣された際にアメリカ軍艦『ポーハタン』号の護衛艦として同行し、初めて太平洋を横断した日本軍艦として知られています。船には勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎も乗っていました。そして、100数人の乗組員のなかには塩飽(しあく)諸島(香川県)出身の水夫(かこ)35人が乗っていました。
塩飽諸島は、戦国時代には塩飽水軍の本拠地で操船技術に長けた人々が住む島々です。咸臨丸子孫の会の調べによると、35人の出身島の内訳は広島11人、本島(ほんじま)10人、高見島4人、櫃石(ひついし)島・瀬居島各3人、牛島・佐柳島各2人となっています。うち2人がサンフランシスコで病死しましたが、帰国した塩飽諸島出身水夫のうち11人が1862年(文久2年)に小笠原諸島(父島・母島)巡視に出た咸臨丸に乗り組んでいました。このときは塩飽諸島出身の船員は総勢で42人いたそうです。この巡視は幕府が小笠原諸島の領有を宣言し、移住政策を進めるためのもので、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが父島に立ち寄って初代入植者でアメリカ人のナサニエル・セボレーを首長とするピール島(父島)政府を樹立するなど小笠原諸島をめぐって欧米を巻き込んだ領有権問題が勃発していました。このとき幕府は小笠原の領有を宣言し、小花作助ら6人の吏員を父島に在留させました。のちに八丈島から30余人を移住させて開拓を始めています。一行に通訳として参加していたジョン万次郎はその後、小笠原で洋式捕鯨の指導を行いました。
塩飽諸島の櫃石島や岩黒島、与島などを通る瀬戸大橋が開通した1988(昭和63)年、与島に観光型商業施設「瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフ」が開業しました。そこには幕末の咸臨丸を模した観光船「咸臨丸」がありました。幕末のアメリカや小笠原諸島への咸臨丸の航海で活躍した塩飽諸島出身船員にちなんで企画されたもので、2008年(平成20年)まで就航し、塩飽諸島を周遊しました。
太平洋往復83日間の咸臨丸に乗船した広島出身の平田源次郎は帰国後、箱館戦争の榎本艦隊に参加しました。また、佐柳島出身の前田常三郎は小笠原航海にも参加、その後坂本龍馬に従い、亀山社中・海援隊で佐栁高次を名乗って活動しました。激動の維新前後の人間模様の一端がうかがわれます。

秋の夜長に聞く話《鳥居(とりい)の謎 002》片山通夫

苗秀寺の鳥居、上に鳳凰の原型ベニコンゴウインコ

《「鳥居」になぜ鳥が居ない? 鳳凰を載せ、鳥居の原形イメージの石門新設 》という新聞記事を見つけた。
2021年8月19日付けの京都新聞だ。
なんでも京都・亀岡市にある苗秀寺(みょうしゅうじ)で、鳳凰のモデルとなったベニコンゴウインコ像を載せた門が出来たという。下に挙げる記事だ。

同寺東堂(前住職)の大谷俊定さん(76)は、子どものころから「鳥居」と呼ぶのになぜ「鳥」が載っていないのか疑問に思ってきた。調べると諸説あるが、ギリシャやインドでは鳥居のような形の門があり、中国雲南省には極楽から来た鳳凰の止まり木として木製の鳥居のような門があった。日本でも江戸時代まで、鳥居は寺の門として結界の役割を果たしてきたという。
 これらのことから大谷さんは、鳥居は元々は鳳凰を載せ人々の極楽安穏を願う門だったとみて、境内の福聚(ふくじゅ)観音を祭る観音堂の門として新設することにした。(中略)今秋の晋山式で完全に住職を退く予定の大谷さんは「観音様の前に本来の意味の鳥居を建立し、人々の平安や幸せ、新型コロナウイルスの終息を願いたい」としている。門上の赤、黄、青で彩られた石像は特殊加工により20年は色あせないという。

ここでは鶏ではなく鳳凰であり、その原型だといわれるベニコンゴウインコ。南の国の鳥だけあって、色のきれいな鳥だ。あの鳳凰の原型とはとても思えない色彩だ(写真)。

秋の夜長に聞く話《鳥居(とりい)の謎 001》片山通夫

伊香具(いかぐ)神社・滋賀県

ここで言う「鳥居」とはあの神社などの入り口に見られる鳥居を指す。漢字を見てみると「鳥が居る」と書く。百科事典などで調べてみる「鳥居とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。」とある。神界と俗界の境にある門を指す。結界である。
形も様々だが。
神社の元締めは(様々な問題があるが)神社庁という団体だ。そもそも「庁」という役所のような名前を付けるところから怪しいがここでは問わない。その神社庁のホームページに鳥居のことを次のように説明してある。

鳥居の起源については、天照大御神が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説や、外国からの渡来説などがあります。

ここでは「鶏が止まった木」を鳥居というようだ。最も外来の説もあると断っているところなど正直かもしれない。(明日に続く)

「里山研究庵Nomad」からの手紙

新型コロナ・パンデミックと気候変動の歴史的大転換期にあって、

 私ども里山研究庵Nomadでは、Facebookページを活用した新プロジェクト“菜園家族じねんネットワーク日本列島”を企画、10月初旬に一般公開すべく、準備を進めているところです。
このプロジェクトの趣意書(全文)は、当方ホームページをご覧いただければ幸いです。 “「里山研究庵Nomad」からの手紙” の続きを読む