連載コラム・日本の島できごと事典 その45《壱岐イルカ事件》渡辺幸重

壱岐イルカパーク&リゾートHPの一部

日本と欧米で価値観の違いはけっこうありますが、そのひとつに鯨やイルカに対する感情の違いがあります。

 1980年(昭和55年)229日、玄界灘に浮かぶ壱岐島(いきのしま)の北部にある無人島・辰ノ島で、漁民によって捕獲されたイルカをアメリカの動物愛護団体メンバー、デクスター・ケイトさんが網を切って逃がすという事件が起きました。ケイトさんはその日の夜、ゴムボートで辰ノ島に向かい、1,000頭ほどのオキゴンドウとバンドウイルカを囲う網を切って300頭ほどのイルカを逃がしたのです。ケイトさんは強風のため壱岐に帰れなかったため彼の妻が福岡のアメリカ領事館に救助を求め、警察や海上保安庁、漁民らが捜索の準備をしている最中、翌朝になって辰の島で漁師に発見されました。ケイトさんは威力業務妨害と器物損壊の疑いで書類送検され、裁判で有罪判決を受けました。

 イルカはブリやイカを食べたり、網を破ったりするので壱岐の勝本漁協の漁民が駆除をしているところでした。勝本漁港は江戸時代は捕鯨基地として栄え、いまでもイカ、ブリ、タイなどの漁獲で西日本有数の漁業基地です。1955年頃からイルカの被害が問題になり始め、10年ほど経つとイルカが急増し、漁業被害が続発するようになりました。漁民らは銛銃や猟銃で撃ったり、強力発音器を使って追い払おうとしたりしましたが効果がなく、イルカ漁の実績を持つ伊豆半島や和歌山県太地(たいじ)から追い込み技術を導入しました。最初は失敗の連続でしたが、1976年には大量追い込みに成功し、翌年には577頭のイルカを捕獲したそうです。ところが次の年、1,010頭のイルカを辰ノ島に追い込んで殺しているところを撮られた写真が全世界に拡散され、大きな問題に発展しました。腐敗防止のための血抜きによって海面が真っ赤な血に染まり、それが残忍な光景として流れ、「こん棒で殴り殺している」という誤報まで出ました。一躍、世界の動物愛護団体から目の敵にされる存在になったのです。

 ケイトさん側はイルカの権利擁護を主張し、有害動物ではないので駆除には正当性はないとして無罪を主張しました。世界中で食害と動物愛護をめぐる大きな論争となり、歌手のオリビア・ニュートン=ジョンが日本は野蛮な国だと公言して訪日を取り止める事態もありました。漁民の生活防衛だったということが浸透し、イルカの大群も来なくなって騒動は次第に鎮静化し、オリビア・ニュートン=ジョンもイルカと人間の共存を研究する千葉県の海洋生物研究所に2万ドルを寄付したということです。

 現在、イルカは全面捕獲禁止になりました。壱岐では観光のためイルカの町づくりが始まり、1995年(平成7年)に壱岐イルカパークがオープン、一度閉鎖されましたが2019年(平成31年)4月に「壱岐イルカパーク&リゾート」としてリニューアルオープしました。辰ノ島にはイルカの供養碑が建っています。これは駆除と関係なく1986年にイルカの大群が迷い込み、浜辺に打ち上げられたイルカを供養したものだということです。