とりとめのない話《たいはい(頽廃)の歌姫》中川眞須良

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私はながらく「たいはい」という言葉をよく知らなかった。「はいたい」(敗退、廃退)の語は接する機会が多くはないものの 初戦「敗退」や すたれおとろえる「廃退」として理解し普段から接してきた。
ある日 ラジオ番組で、それぞれの時代の変遷を辿る いわゆる「流行歌と歌手」をテーマとしたトーク番組(司会者とゲスト評論家の対談 1995年頃)の一部であったと記憶している。

そのなかで「たいはい」という言葉を立て続けに耳にしたのである。反射的に「はいたい」ではないのかと思ったがそうではなかった。

その番組での対談の主旨は「現在の日本の女性歌手のなかで『たいはい』の心を歌えるのは誰か」である。

司会者はゲストの年齢を考慮してか時代を遡る事を意識しながら 数人の歌手名(青江三奈、藤圭子、エト邦枝、初代コロンビアローズ等)を挙げ意見を求め またある時は同意を探るかのようにその場の雰囲気をもり立てようとしていたが、ゲストはただ一言、「『西田佐知子』しかいないでしょう。」と結論づけていた。

私の記憶はそこまでである。 当然番組内ではそれに対する具体的な説明、解説、そして 対談へと続いていたであろうが、、、、、、。

おそらくこの時 自分にとってその先の内容よりも 耳慣れない言葉「たいはい」の意味を知りたい心が先走りしその先は 耳が留守になっていたのかもしれない。

早速 辞書に問うてみると

・たいはい[退廃、頽廃]  おとろえ すたれること。気風がくずれること。また、その不健全な気風。廃頽。    とある。

さらに ・はいたい は [廃頽。廃退。敗頽。]と、、、。   文字のならべ方が違えど意味は殆んど同じである。 この二つの言葉の違い、よくわからなく不思議な気分になったことを覚えている。

それなら次に 普段見かけない文字(私だけ?)「頽」の持つ意味をさらに問うと

そこには くずれる くずれおちる の他 なびき従う 心に抱き思いに沈む とあるので、番組内で言う「たいはい」は感情的に近いと思われるこの「頽廃」の二文字をあてるのが適当と推測できる。

しかしこれらの感情を 「一人の人間(女性)の心の奥底に沈む潜在的な淀みのような光沢のない世界」をその断片として表現し歌いあげることができる女性歌手とは誰なのだろうか。

その歌い手は「西田佐知子」をおいて他にはいない と明言させたゲストの心のうちは未だ謎のままである。 おそらく その人の、歌(メロディー 誌)との接し方、日常の生活感、声、歌い方、雰囲気等 すべてであろ。

ネット上に 西田の歌 として多くの曲がならんでいるが、本人がどの曲をどのように唄えば「頽廃の歌姫」として我々の前に姿を現すのであろうか、また 出会えるのであろうか。それは一途に我々視聴する側の敏感な想像力と感性 そして 巧みな創造心に委ねられているといえよう。

昨今 体調不良の噂が流れる「歌姫」を気遣いつつ1999年頃に想いを馳せ

この一曲    作詞  橋本淳   作曲 三木たかし

神戸で死ねたら」  をいま一度聞くことにする。