とりとめのない話《中低域ハーモニー》中川眞須良

齢を数えれば自分自身と自転車(以下B)との関わり方はおのずと変わってくる。若き日のようにソロで 水、りんご、チーズと寝袋を背負い長距離を楽しみ、時にはタイヤ、チュウブの予備を持ち峠越えを楽しむ、などの気力 体力はいつの間にかなくなってしまった。還暦、古希を過ぎれば当然の事かもしれない。そこで この関わりを少し変えてみることにした。と言うよりも長距離を楽しんでいた頃の気分、感覚を手軽に味わってみようというのである。「ずぼら者!」と揶揄されるかもしれないが、、、、、。

Bの長距離旅は暑さ、寒さ、疲労、空腹そして時間との戦いである。止まり 休めばこれらのいくつかは解消できるが なぜか自転車乗りは「休む」ことを嫌う。時間に追われてもいないのに「止まる」ことを嫌う。そこに不思議な人間の一面が現れる。そしていつの日か止まらず、休まずして これら苦痛との戦いを制する術(すべ)を見出すのである。即ち、慣れるのである、紛らわすのである、麻痺させるのである、そして一瞬忘れるのである。

そんなことができるのだろうか。私はこのことを 「自転車術」と呼び、自分の世界にひたっている。それは 「3つの音のハーモニーを楽しむこと」である。

その3つとは

1、 タイヤが路面を蹴る音

1、 ギアとチェーンが噛み合う音

1、 風が頬を撫でる音         である。

まずタイヤ音は 路面の状態次第だ。アスファルト舗装の 新路面、走りこまれた通常路面、滑り止めの施された路面、コンクリート舗装、 大小の敷石道と多種。

次にギアとチェーン音である。これは一番鈍く低い(波数が少なく音量も低い)。通行量の多い道、市街地では無縁の世界。  そして風の音であるが 追い風は楽々のため音を気にする必要はなく思わず鼻歌も、向かい風は逆にその余裕がないが程よい風の状態にその時々の自然の香り 土地の生活臭が混じりあえば最高である。などいろいろ条件が絡む。

ハーモニーを楽しむには各音がそれぞれ心地よく奏でられていなければならず、一つでも欠ければ演奏にはならない。そのような3条件を満たす偶然の時の流れに簡単出逢うことができるのであろうか、、、。その結論は「滅多にない!」である。

私自身過去50年以上Bと接する時間の中でこのハーモニーに酔いしれた記憶は数度しかない。

あの数十秒間?しか味わえない感動の出逢いを 今回も スピードを変え探すのである、ギアを変え創ろうとするのである、走行姿勢を変え待つのである、最後はただ待つのである。出逢えない であろうかも?の あの演奏の偶然を待つのである。

そして待ちくたびれた心の疲労感が、ペダルを漕ぎ続けた肉体の疲労感を越えたとき その場所がその日の旅の終点である。

この「待ち」の姿勢が保たれる限り 私と自転車の関係もまた保たれる。